誰の役にも立たない自分ひとりの欲望から始める方がいい
桜が咲くと、空気が塗り替わる。美しい花はいろいろあれども、ソメイヨシノみたいにあらゆるところに植えてあって、一斉に咲いて、あんなにたくさんの人の心を浮き立たせる花は他にないと思う。
まあ、やつら、クローンですからね。同じDNAですからね。同じ環境で一斉に咲きますよね。※ソメイヨシノは種ではなく接木で増やすからみんな同じ遺伝子。
毎年わたし、桜が咲くと「ああ、わたしも桜になりたい」と心底思うのですが、他の人に聞いたら「いや、全然」と言われびっくりしたので、なぜ、わたしは桜になりたいのかを自分の心に問うてみた。
美しくなって注目されたい…というわけではなさそうだ。なぜならソメイヨシノ以外の桜や、他の美しいものを見ても、「なりたい」とは思わないもの。もしかして、ソメイヨシノがクローンだから「なりたい」のだろうか。
もしや、わたしは自分のクローンを日本中に増やしてみんなに愛でてもらいたいのでは…!? 何それ、危ない人じゃないか! 子どもは欲しいと思ったことがないくせに、クローンなら欲しいんかい! …と、ひとしきり動揺した後に、この欲望の正体に気づいたのでした。
クローンのソメイヨシノは、わたしにとって、小説作品の象徴ではないか!!
わたしは、自分の分身である小説作品を、全国の本屋に並べて、いろんな人に楽しんでもらいたい。花の咲く日を待つように、発売を楽しみにしてほしい。そして、毎年変わらず咲く桜のように、コンスタントにそれを続けていけたら幸せだ。
その欲望に気づいたとき、とても懐かしい気持ちになった。そもそもわたしはこの欲望から出発した。世のため人のためとか関係ない。ただ、わたしが、自分の作品を、全国の本屋に並べて、みんなに読んでもらいたい。それだけだ。
だけど、自分ひとりだけの欲望はかなう確率が低い。たったひとりでがんばらなくてはならない。自分のことしか考えてなくて恥ずかしい。
だからわたしはどんどん気弱になって、もともとの欲望を押し隠すようになった。そして、「物語の力を伝えたい」だとか「書くことを広めて世界をよくしたい」とか「理系ライターとして科学の面白さを伝えたい」とか、いろいろ立派なことを言っていた。自分の欲望を、みんなに応援してもらえそうな欲望にすり替えて、口当たりのよいことを話していた。
けど、それ、もう原液ほとんど入っていない、うっすうすの欲望なわけですよ。洗練されて、剪定されて、型にはまって、もう、そこからは生気は出てこないわけですよ。
ソメイヨシノを見ながら、自分のためだけの欲望を思い出したとき、わたしは何だかすごく元気になった。
ああ、みんなが見惚れて圧倒されるような小説を書いて、素敵な本にして、全国の本屋に並べて、いろんな人に手に取ってもらって読まれたい!!
桜みたいに、通りすがりの人を、ふぁぁああ!ってさせたい。
待ち焦がれたい!
いつの間にか、叶えたい夢が何も思いつかない大人になっていた。社会でひとりで生きていくことはできないし、誰かを喜ばせることがまわりまわって自分を幸せにするけれども、一生かけてかなえたい、たったひとつの夢まで、他人に気を使うことはないのだと気がついた。
誰の役にも立たない自分ひとりの欲望から出発してもいい。いや、むしろ、したほうがいい。自分がやりたいからやる。そんなふうに腹をくくって初めて、拓ける道があるのではないか。
来年の桜は、憧れて眺めるだけじゃなかったらいいな。
トップの写真は去年の桜(撮影:sayoco)