拭いている時の情けなさったら

お礼≦謝るを変えたい

これまでの人生で、「しっかり者」と言われたことは
なかったとは思うけど、ギラン・バレー症候群になってから
お礼を言う回数も増えた代わりに、謝る回数も激増した。

本当はお礼をたくさん言いたいし、感謝もたくさん
しているのだけど、なかなか向きが逆転しない。

それは結局、手の力がないことで、
色々と周りに助けてもらうことが多いから。

「ありがとう」の前につい

「ごめんね」「すみません」をつけてしまう。
コップを上手く持てずに落としたり倒したり、
物をうまく掴めずに落としたりバラまいたり

スイッチが入れられない、ファスナーが開かない、
納豆のたれの様な「どこからでも開けられる」はずの
子袋でさえも開けられない。

至る所に私の手伝って欲しいポイントがあり、
ちょっとやってみようと思った時に限って失敗する。

「あーあ。だからいいって言ったのに」
と言いながら家族などは片付けてくれるが、
それはつまり「やらずにいた方が手間がかからない」と
同義であり、心底自分にガッカリするし、申し訳なくなる。

床にこぼした場合は、しゃがめない私は拭くことも出来ないので
周りの人が拭いてくれたりする。
そうすると、尚更その思いは強くなり、

また出来もしないくせにって思われたよな・・
そんな気持ちでいっぱいになりながら、
片付けを手伝ってくれている人を見ながら、悲しくなる。

それでついた、謝り癖

元々自己肯定が低く、謝ってばかりで
「謝るな!」と怒られてまた謝るみたいな感じだったのが
社会に出てようやく治って来たのに、また謝り癖。

病院に入院中も、「こんなことまで人にお願いしないといけないんだ」
という気持ちが頭を離れず、お水を飲ませてもらうのも
申し訳なくて、情けなくて、仕方なかった。

「すみません、本当に」ばかり言っているので、
看護師さんに叱られた。

「謝らなくていいんだよ。動けなくなってるんだから」
有難いと思いつつ、謝り癖は抜けなかった。

生活面で出来る事が少しずつ増え、それと同時に
謝る数も減り始めた。
その代わりに「ありがとう」という事にした。
感謝の気持ちは忘れないでおこうと思ったから。

動けないでいる時、一番嬉しいのは

気持ちよく手伝ってくれること、
それはもちろんそうなのだけど、
安心出来た看護師さんを思い返すと、
「そうするのが当たり前」「おかしいことじゃない」
って雰囲気をまとってくれていたからな気がする。

夜中に先の見えない不安と、全てを人にやってもらう事に
慣れずに一人泣いていたら、看護師さんに言われたこと。

動けないんだから当たり前だし、
サポートするのがお仕事なんだもの、
かんちゃんは任せてくれて、よりどうすればいいか
教えてくれたらいいんだよ
待たせちゃうことも多いけどね・・。
ごめんね。でも必ず来るから。

そう言って、夜勤の時間で人が少ないのに、
落ち着くまでそばにいてくれた看護師さん。

それでこういう看護師さんもいるんだと
看護師さんに対して気持ちを閉じていたのが開き始めた。

お願いすることが悪いことのように感じていて
何も出来ない自分は要らないんだと責めていた。
病気だからなんて全く考えられなくて、
出来ないっていう事実にしか目を向けられなかった。

出来ないんだから仕方ないは簡単だけど

出来ないで終わらせるのは簡単だけど、
周りで少し頑張れば出来るのにやろうともしないで
文句ばかり言っている人を見て、腹が立った。

こういう人と一緒にされたくない。本気でそう思った。
出来ないを一緒にしないで欲しいって。

出来ないから仕方ないんだと思うのは楽だけど、
それだけも嫌だと思った。
やれるだけのことをやり、ちょっと頑張れば
出来そうなことを時間がかかってもやってみる。

それの繰り返しでここまで来た。
だからこそ、謝るんじゃなくて、
出来るところはしっかりやり、出来ない部分は
相談してみる。

謝ることなんじゃなくて、やってもらえたら
心からお礼を言う、でいいんじゃないかと。
今も毎日そんな思いでリハビリをしている。

テーブルを拭く回数は今でも結構あるけど、
自分を全否定するんじゃなくて、
まだまだだなあ位に思う様にして。

そうじゃないと続かない。

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