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「比べる」を超えた時。

人生は「比べる」の連続。

産まれてこの方、比べられてばかりだと思う。
成績がどうとか、何かの才能がどうとか、
男だからどうとか女だからこうとか。

「〇年生まれは優秀なんだよね」
私の学年は、先生たちによく言われていた。
たまたま入った学校の、たまたま優秀な子が多い学年。
ただそれだけで、ほとんど偶然なのに、
何言ってるの?と不思議でしかなかった。

人より秀でた何かを持っているわけではないから
とりあえず余りにも遅れないようにだけはしなければと
そこそこの努力はして、ほどほどに。

抜群の成績を取ることもなく、言わばまあまあ。
「やればできるのに」とよく言われたけど、
自分が興味がないものには無頓着だったので、
「はい、頑張ります」と流していた。

女の子だからピンク?

話は少し飛んで、洋服の話。

女の子なのに・・と嘆く母を横目に
選ぶ服は青、黒、グレー。
ピンクや赤の、フリルの付いた服は
頼み込まれても着なかったし
試着ですら嫌がって、逃げ回っていた。

大人になって、女だからと言われなくなったら
ピンクも自然と好きになった。
肌色から着る服はピンクが良いと言われたので
試しに着てみたらしっくりきた。

女の子はピンクか赤というのから離れられて、
ようやくピンクと仲良くなれたのかもしれない。

〇〇ちゃんと仲良しなのに・・

これも結構、地味に傷つく。
確かに仲良しだけど、全く同じ人間ではない。

得意なことも違うし、出来ない事もしかり。
全く同じ人間なんていないんだから
彼女だって一緒にされて戸惑っているだろうと
申し訳ない気持ちになる。

その人が大事で好意を持っていればいる程、
つり合いが取れないみたいな気持ちになることもある。

一緒にいる間に、新しい世界を切り開いて
ますます輝いていくその人を見ていると
遠い存在になったと感じたり、友人から憧れになったり。

そうなったら、自分の中の関係性が変わってしまうので
今まで通りにはいられないと思ってしまう。
悲しいかな、彼女がどう思おうと
自分の中の気持ちが変わってしまっているのだ。

遠のいた人たち

そうやって、何となく違和感をお互いに感じて
離れてしまった人とかも多くいたと思う。

まだ自分の気持ちや感じる違和感を
何なのか分からなかった時期は、尚更。
今思えば、何故そこまでと思うけど
当時の私は、離れるのが一番いい方法だと思ったし、
他に選択肢もなかった。

今では全くどうしているか知らないけど、
どうなっていたのかとたまに思う。
今位のゆるい気持ちで付き合い続けていられたら
もっともっと自分にとっても有意義だっただろうに。

比べることをやめた

ギラン・バレー症候群になって、比べるのをやめてしまった。
寝たきりで動けない私にとっては、動ける人は皆すごくて。

生きるためのことですら必死過ぎて、そもそも比べようという
気持ちになれなかったのが良かったのかもしれない。

いつになったらよくなる、どうすればよくなるとか
治る時期や目安が人それぞれで分からず、
地道に何年も先の見えないリハビリをしなければいけないから
今の自分に出来ることで勝負するしか無い。

自分と周りを比べる前に、今の自分に出来ること。
そしてちょっと頑張れば手が届きそうなこと。
それを探して、自分の世界を広げる。

私の比べるは昨日までの自分とになった。
人と比べるを超えたのだ。
とはいえ、弱い私はそれでも比べでしまうけど。

〇〇さんはすごいな、私なんて・・。

でもそれを打ち消してくれるのもその〇〇さん。
以前の私なら憧れになっていたであろう人でも
存在が励みになり、誇りになる。

私のことを褒めてくれる人がいたら、
私のこともそう考えて欲しいと思う。
一緒にいろんな経験をして、
いろんな話をして、お互いと自分自身を知って。

周りと比べ過ぎないで欲しい。

あなたにはあなたのすごいところがたくさんあるし
私は今のあなたを尊敬しているし、大事に思っている。

よりよい自分になるための反省なんかは必要
かもしれないけど、全否定じゃなくて、そこだけで。
それで昔の私みたいにいい関係でいられたはずのものを
手放して欲しくないと思う。

自信って、頑張った自分からももらえるけど、
なんだかんだ大事な人からの応援や誉め言葉から
かもしれないと最近思っている。

楽に生きよう。

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