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魚梁瀬-台湾林業日記-4-太平山に登ってみる

さて、2019年に訪れた林業跡地の中の一つ、太平山。宜蘭県の中にあり台湾林業の中でも早くから開拓が進められた山です。

現在その林業跡地は太平山国家森林遊楽区というレジャー施設になっていて、たくさんの観光客がワイワイ大自然を楽しみに来ています。基本的にはいろいろなハイキングコースが楽しめる場所です。2019年夏、宜蘭の中心地から車を借りて向かってみました。

1.大平山国家森林遊楽区へ

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なんだかすでにみおぼえある光景...高知県の山の中をなんとなく思い出します。日差しのギラギラ感とか、緑の眩しさとかそっくりなんです、台湾と高知県。でも針葉樹林ばかりではないところが違います。この写真の標識にある「土場」という地名。林業の現場ではよく聞かれる名前ですが、木材をひとまず集積しておく場所で、ここから各地に輸送されていきます。

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土場からはどんどんどんどん山道を登っていきます。大平山国家森林遊楽区は巨大な保護区域なので、こちらのゲートから入場。たくさんのお客さんがすでに来場していて、”Bong Bong train”なるものの本日分のチケットは売り切れ、と電光掲示板に表示されています。ボンボントレインって何!?乗りたかった!!!

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車を降りて短そうなハイキングコースからスタートすると早速森林鉄道がお出迎えしてくれました。でた!林業跡地あるある、りんてつが走っていた。

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走っていたのは羅東森林鉄道。大平山の麓から、魚梁瀬台湾林業日記-2-で紹介した「羅東林業文化園区」の場所までごとごとと走っていました。始点である「土場」の駅名も見られます。

さて、ちょっと記憶が朧げですが、ハイキングコースは短いのから結構長いのまでたくさんの種類があり、私たちは全部を踏破することはできませんでした。ですが中には原生林のままの台湾の森を巡れるコースもあり、原生林というものにおそらく人生で初めて足を踏み入れた私は木々の多様な生き様に圧倒され大感動してしまいました。自由に根や枝を伸ばし、朽ちていっては次の世代の栄養となって存在感を残す大木たちの堂々たる姿に打ちひしがれっぱなしでした。

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しばらく行くと、ボンボントレインが現れました。ボンボントレインとは、りんてつ(の支線)を走っていた列車だったのです。しかも、乗れる...。

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もちろん朝の時点でチケットは売り切れ。本物のりんてつに乗車するという夢は一旦お持ち帰りです。

昔の写真も展示されていました。

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でた!林業あるある、信じられない光景。こちらはインクラインです。急な斜面でも木材を安全に下ろすことができるといいますが、いかにも安全じゃなさそうな見た目の装置です。

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でた!林業あるある、支線の先に集落。家族丸ごと、山奥の林業地に暮らしていた様子が伺えます。

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ここはかつて林業関係の様々な施設が集約されていたエリア。小学校、役所、病院...。こちらの当時「加羅山神社」として建設された神社は、日本統治が終了したあと台湾の人々により「鎮安宮」という廟に建て替えられました。

実はこの山、「新太平山」というところ。太平山の中でもあとから開拓されたエリアです。元々の太平山の木々が切り尽くされた後、新太平山としてこちらの伐採が始まり、それに伴い各種主要な建物が移動してきました。木々がなくなるとともに新たな木の場所を求めて人々は移動していったのです。

木々がなくなるまで伐り、森林資源が枯渇すると次の山へ...。この巨大な山の木がとうとう無くなるまで伐り続けた...日本人の飽くなき木を求める活動は戦争が終わるまで続いたのです。

次回はそうして伐り倒されていった台湾檜の行き先を見ていきます。

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