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進む歴史の改ざん 小池さん、東京都はこれでいいの?

しめやかな弔いの場 フェイク雑言で汚される

去年9月1日、東京都慰霊堂の横に私はいました。関東大震災後の混乱の中、虐殺された朝鮮人を弔う追悼式典の撮影でした。
半島にルーツを持つ人、「虐殺を二度と繰り返さない」と霊前に誓う日本の人たち。しめやかな追悼の集いでした。

そこに、トランジスタメガホンの「音」でかき乱してくる人たちがいました。
「負の歴史ばかりを強調し、日本人に反省を強いる歴史観を、未来の子供たちに引き継ぐわけにはいかないのです」
「朝鮮人が、震災に乗じて、略奪・暴行・強姦などを頻発させた、軍隊の武器庫を襲撃したりして、日本人が虐殺されたのが真相です。犯人は、不逞朝鮮人、朝鮮人コリアだったのです」

虐殺否定派の集会が、すぐ近くで開かれていたのです。
追悼式典が汚される中、参列者は耐えながら、式典を粛々と進行していました。――それは、むごいものでした。

1990年代、関東大震災での朝鮮人虐殺が事実であることは、どんな民族派でも否定しがたいことでした。現場を見た人が、まだ生きていたからです。
私は、ドキュメンタリー『イントレランスの時代』で、この日の様子をそのまま報じています。歴史が汚されていることを伝えるためです。学問としての歴史学を専攻した立場としては、耐えられない思いでした。

写真:2019年9月1日、朝鮮人追悼式典の会場から見えた、虐殺否定派の集会。トランジスタメガホンは、追悼式典側に向けられている。

”ファクトと両論併記”は フェイクへの加担

今は虐殺を否定する人々が出てきたために、「本当のことは事実は分からない」とか「歴史だから、いろいろな意見があっていいのだ」とかと言う人が出てきています。
しかし、「本当のことは誰も分からない」という言い方は、殺された人々のお骨を墓から出して、砕いて捨てるのと同じ行為です。虐殺否定派と変わりません。ファクトとフェイクの中立報道がありえないのと、同じことだと思います。

同じことは、小池百合子氏にも言えます。
彼女が東京都知事になった時から、朝鮮人追悼式典に知事メッセージを出さなくなりました。
あの石原都政でも出していた追悼メッセージを、あえて出さないこと自体が、明らかな政治的メッセージと受け取られ、否定派を勢いづけています。しかし、批判を受けても小池氏は平然とした態度です。

去年現場で見ていると、否定派集会の男性が式典側に近寄ってきて、挑発を重ねました。剣呑な雰囲気が漂います。男性は突然、顔を押さえて「叩かれた、暴力を振るわれた!」と叫びました。
私は、その瞬間は目を離していましたが、男性が叫び出す直前と直後は、カメラで撮影しています。本当に暴力があったのか、なかったのかはカメラには映っていませんが、近寄って挑発してきたのがその男性であるのは明らかでした。騒ぎを起こすのが目的だったと思われます。
男性から「こいつに叩かれた」と言われた人は、逮捕されています(その後不起訴)。これが、昨年起きた「衝突」です。

なぜ、虐殺否定派は、追悼式典のすぐ隣でわざわざ集会を開くのでしょうか。ジャーナリストの安田浩一さんに、現場でお話をうかがいました。

「あえて混乱を起こすことによって、『両方とも政治集会なんだ』という結論に持ち込んで、そもそもこうした在日朝鮮人による慰霊祭そのものをなくしてしまおう、つぶしてしまおうという思惑が働いているからこそ、あえて混乱を持ち込むような集会を開催しているんだ、と思っています」

小池百合子さんがどう判断するか

小池百合子さんが「どっちもどっち」「もめるくらいなら、両方止めてもらいます」と言い出す可能性は、高まってきています。
これを許せば………
歴史改ざんのもくろみは、成就することになります。

みなさんに、朝日新聞の社説「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」を読んでいただきたい、と思います。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14562025.html

朝日新聞「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」
2020/7/25

 こうしたおかしな行いが自由な社会を窒息させ、都政に対する不信を膨らませると、小池百合子知事は気づくべきだ。
 関東大震災後の混乱の中で虐殺された朝鮮人や中国人の追悼式典を開いてきた団体が、会場の公園を管理する都から「誓約書」の提出を求められている。
 内容は、▽参加者に管理の支障となるような行為をさせない▽順守されなければ都の式典中止指示に従う▽次年度以降、公園利用が許可されなくなっても異存はない、というものだ。

 なぜ問題か。虐殺の事実を否定する団体が3年前から式典と同じ時間帯に「犠牲者慰霊祭」と称して集まり、大音量で「虐殺はでっち上げだ」などと演説を行っているためだ。昨年はこれに抗議する人たちとの間で衝突もあった。
 同様のことが起きれば来年から式典を開けなくなる恐れがある。否定派の団体の関係者はブログで「目標は両方の慰霊祭が許可されないこと」だと公言している。その思惑に手を貸し、歴史の改ざんにつながる「誓約書」になりかねない。

 そもそも地方自治法は「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と定め、安易な規制は許されないとする最高裁の判例もある。都の対応は集会や表現の自由への理解を欠き、いきすぎと言わざるを得ない。

 知事の姿勢が影響していることはないだろうか。小池氏は歴代知事が式典宛てに出してきた追悼文をとりやめ、虐殺について「様々な見方がある」などとあいまいな発言を繰り返す。
 だが「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げ込んだ」といった虚偽の話が広がり、市民や軍、警察によって各地で虐殺が行われたのは厳然たる事実だ。多くの公的記録や証言があり、内閣府中央防災会議の報告書にも明記されている。にもかかわらず、否定派の団体は差別的表現を使いながら、暴動やテロがあったと言い募る。
 小池氏は先の知事選で、ヘイトスピーチ対策を盛り込んだ都条例の制定を1期目の成果に挙げた。そうであるなら、事実に基づかぬ差別的な言説を放置せず、適切に対応するのが知事の務めではないか。自らも歴史に誠実に向き合い、都民の代表として追悼文を出すべきだ。

 災害時のデマは過去の問題ではない。東日本大震災では外国人窃盗団が暗躍しているとの流言が広がり、現下のコロナ禍でも外国人の排斥や感染者へのいわれない攻撃が起きている。
 社会不安が広がるとどんなことが起き、そうさせないために日頃からどうすべきか。97年前の惨劇から学ぶことは多い。

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