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『雲仙記者青春記』 新米記者が遭遇した、災害報道の現場

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記者になったばかりの新米が、突然の大災害に遭遇。1万人を超える避難住民が出ているのに、経験はゼロ。右往左往しながら地元に住み込み、5年後に災害が終わるまで見届けた記録が、『雲仙記…
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2021年5月の記事一覧

『雲仙記者青春記』第12章 1995年4月30日、故郷

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年5月3日第12章公開) あるべき災害対策とは 阪神大震災の発生は、災害対策のあり方を洗い直そうとしていた「復興ネットワーク」と、福崎博孝弁護士を中心とした「災害対策法システム研究会」や九州弁護士会連合会(九弁連)の活動にも、大きな影響を与えることになった。  大震災から約1カ月後の2月20日、九弁連は「阪神・淡路大震災についての緊急基本提言」を発表した。日本弁護士連

『雲仙記者青春記』単行本あとがき 1995年6月3日から

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年5月17日あとがき公開) 5回目の「マスコミ雲仙集会」  43人の犠牲者を出した大火砕流から5回目の「6・3」がやってきた。1995年6月3日、ぼくは転勤後初めて、長崎県島原市に向かった。  阪神大震災で被災した神戸市の新聞や民放の記者、テレビ長崎の槌田禎子記者らと並び、「マスコミ雲仙集会」のパネリストとして島原文化会館大ホールのステージに座ると、1カ月前まで慣れ親