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『雲仙記者青春記』 新米記者が遭遇した、災害報道の現場

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記者になったばかりの新米が、突然の大災害に遭遇。1万人を超える避難住民が出ているのに、経験はゼロ。右往左往しながら地元に住み込み、5年後に災害が終わるまで見届けた記録が、『雲仙記…
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2021年4月の記事一覧

『雲仙記者青春記』第10章 被災地に生きる

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年4月3日第10章公開) リレー「記者の目」  牟田さんの件が一区切りすると、すぐに1994年の「6・3」連載企画の打ち合わせが始まった。  戸澤正志、加藤信夫の両デスクも例年通り参加した。議論の末、今年は雲仙取材に関わった5人の記者がそれぞれテーマを分担して、署名記事形式で連載する「普賢岳『記者の目』」という企画に決まった。  常駐したばかりで力がなかった入社2年目、

『雲仙記者青春記』第11章 1995年1月17日、阪神大震災が起きた

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年4月21日第11章公開) 大地動乱の時代  高度を下げていく飛行機の窓から、民家の屋根を覆うたくさんの青いビニールシートが目に入ってきた。  大阪・伊丹空港はもう近い。1995年1月29日午後。ぼくは西部本社から派遺された阪神大震災の第2次応援部隊の一員として、毎日新聞大阪本社へと向かっていた。  小さな火砕流が時折あるだけの静かな島原の正月は、17日午前5時46