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『雲仙記者青春記』 新米記者が遭遇した、災害報道の現場

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記者になったばかりの新米が、突然の大災害に遭遇。1万人を超える避難住民が出ているのに、経験はゼロ。右往左往しながら地元に住み込み、5年後に災害が終わるまで見届けた記録が、『雲仙記…
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2021年1月の記事一覧

『雲仙記者青春記』第4章 1992年4月1日、島原前線本部がぼくの仕事場兼住居になった

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年1月3日第4章公開) 職住一致の前線本部  1992年4月1日、島原市役所のすぐ近くの毎日新聞島原前線本部が、ぼくの新しい仕事場兼住居になった。  支局やその出先である通信部は社内機構の1つだが、前線本部は事件・事故が発生した現場近くに置かれる臨時の取材拠点である。通常はせいぜい1週間程度で撤収される。  しかし、普賢岳は「異例の長期災害」という枕言葉がかぶせられる

『雲仙記者青春記』第5章 太田先生の「終息発言」と、火山学者たち

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2021年1月17日第5章公開) 普賢岳のホームドクター  普賢岳は、世界でも極めて珍しい「非爆発的な噴火様式」の火山だ。噴石で被害が出たのは、たった一度。火砕流は溶岩ドームからの部分的な崩壊でしか発生せず、フィリピンのピナツボ火山のように、噴き上げた高温の火山性噴出物が降下してくるケースはなかった。  だからこそ、火口からわずか7kmの島原市街地が生き延びることができた。普賢