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黄昏ジャイグルデイバ

 ネタバレを以下含みます。
 個人的な備忘録です。
 (何本観たか、わからなくなってきたので)

 演劇が好きで舞台にはよく足を運ぶ一人である私は高校時代は幽霊ではあったものの演劇部に入っていた。
 舞台が2パターンあるときはどちらも見ることにしているオタクな人でしか今はない。
 そんなオタクにはたまらない東京キャストと札幌キャストで講演される先週の土曜日は琴似のコンカリーニョに13時から芝居小屋に座っていた。
 東京の役者さんは個人的にはあまりわからない。
 しかし、会場にはそんな役者さん(劇団?)の追っかけらしき人たちがおり、開演前から泣いていて、「なんで泣いているの?なんだか身内にご不幸があったのかしら?」と隣に座ってぼんやりしていたのである。
 開演の時刻になり暗闇になる。舞台の方から声が聞こえ始める。芝居の始まりである。

 高校時代、演劇部に所属していた五人のうちの一人が亡くなってしまい、偲んでカフェに集まったという設定のお芝居が続いていく。演劇部だった私はなんだか親近感を感じてしまう。


(お線香の青雲のリズム)
 中年、それはどんどん死んでいくものー、
 それがみんなー、ふつううー♪
 青春、それはかなりむかしなのー、
 そんな、こともあったけなー、
 青春♬

 昔の仲間が集まれるだけましな気がするが、あまり集まらないとか連絡を取り合わない人が「ちょっと会おうぜ♡」と言ってきた時、大体それは選挙前のどこぞの宗教とかマルチとかねずみ講とかだべやー。なんて思って警戒するのも普通の感じなのである。

 保険屋の男性が退職し怪しいビジネスを始め、みんなドン引きで去ろうとした時、解散を必死に止めるのが、何故だかカフェの店主なのである。
 「ビールーうー、4んちょうー!!」
 なんでやねん!
 そうして、みんな結局話を聞き、男性が家庭崩壊の状態を知り、「死にたいのは君だったのか」と悟っていくのである。ニュービジネスを考え現実逃避を必死に行うことが一つの救われよようとする方法に思えたのだ。
 なんか現実社会でもありそうでうよね。

 死んでいく友人に寄り添い、必死に考えを巡らし、なにかできないかと考えるうちに寄り添う人が弱っていく。そんなことも中年ならではあることだろう。
 ぼくらは無力だ。死ぬときはベットで管だらけになって死んでいくのだ。みんな同じなのだ(専門職として突っ込みを入れるならば「そんなことはありませんよ」)と失望する友人たちに号泣する店長が歌い出す。
 あのビートルズの「アクロス ザ ユニバース」の替え歌「幕末ジャイグルデイバ」は高校時代に演じた最後芝居の劇中歌だ。この人は何故歌えるのだろうか?
 「私が死んだ達夫の兄です(連れ子同士で血はつながっていない)嬉しくて、嬉しくて!」
 カフェのトイレに飾ってあった「幕末ジャイグルデイバ」の台本を演じる。
 お客の居ないカフェで力一杯演じ切った中年たちは息が上がり「なんだかもう、いっか」となっていく。

 中年で未来に煌めく希望とか無くても、それでもなんとかなると自分に言い聞かせながら、明日を生き続けるのだ。

 死は平等にやってくるし、人生苦しくて死にそうでも色々助かる選択肢もあるし、きっとなんとかなるのだ。

 歌いながら、ちょっと過去の甘く辛い記憶も背負いながら僕らは生きていく。
 中年だって、まだまだ実はこれからなんだと自分に言い聞かせながら。

 東京キャストはアップテンポでさすがだなと思いました。
 札幌の人に見てほしかったな。
 間合いとか勉強になる(いや、私が勉強してもな)。
 札幌キャストは能登英輔さん目的で基本行きましたが、きっと彼の年齢より老け役だったので黄昏感より失望感が強調されていたように思えます。
 東京キャストのファンにもなったのでいつか東京に今度私が遠征したいです。

 二回も見たからかもしれませんが歌が頭からこびりついて離れません。
 しばらく「ジャイグルーデイーバー♪」と口ずさむでしょう。

 演劇シーズン2023は一つ目が千秋楽を迎えましたが、まだまだ続きます。
 今日は「ハッピーママ、現る。」を観劇してきました。

 とても良い作品ですので8月5日まで是非足を運んでいただければと願っております。
 演劇の一ファンとしての備忘録として記載しておきます。




 演劇にちょっと触れていると、大人になってから芝居小屋に足を運ぶ人になる確率は高くなるかもしれません。
 ほんと少ししか携わってなくても。

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