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煮豆炊いたん

 もう、うっかり50歳近くなってしまった。
母は亡くなり、父は病院に預けてそのまま会っていたい。
母は自宅から病院に連れて行く際、「お父さん今生の別れだね」と父に言ったが、その時は大袈裟な事を言ってと何の感情も抱かなかった。
父はアルコールを飲むと暴れる人だったが、認知症が入って更に脳梗塞で身体が麻痺してなんだかめちゃくちゃだった。
精神科医にかかりっぱなしの私は医師から家にあまり近づかないようにと説得され会社の地方に転勤する制度を使いある程の距離の場所に居続けた。
母は寂しそうだった。

母はそれから大腸を切除し元気に回復して自宅に戻ったが父は母の事をきっかけに病院に預けてそのままにした。
母は生きている間、父が帰宅するのではないかと怯えながら一年は生きた。しかし何の希望も見出せずインフルエンザに罹患して一ケ月ほどで息を引き取った。

私は老人病院に勤務していたのに母はそんな病院はさっぱり嫌だから死にたいとの有言実行の死に方だった。

「らしいな」と今でも思う。
娘におむつの世話とかして貰いたくはない。

私は更に転勤して札幌市内に戻ったが、やっぱり老人専門の食事を手がけている。
ペースト食
刻み食
軟菜食

母と最後に自宅で食べたのはスキヤキだった。
夫と珍しくお肉食べようって不思議だねって帰路言いながら。
体の不調を肉で治そうなんで、アンタ馬鹿だよ。

煮豆は母がしょっちゅう炊いて近所に振る舞っていた。
白花豆
金時豆
紫花豆
虎豆
黒豆

何種類も一気に炊いて重箱に詰めていた。

母が亡くなって煮豆を貰うことがなくなり
仕方なく自分で煮豆を炊く。

自分で食べきれる量で炊こうとする。
でも炊いてみると量が多くて知り合いにお裾分けする。

やっている事は母と同じだ。

私はまだまだ死ねないので
毎年インフルエンザワクチンを摂取し生き延びる。
煮豆を炊きながら
まだまだ生きるのだ。

#エッセイ #料理

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