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<雑記>夏過ぎて、秋はもう寒いからこたつと戯れたい。

 はい。こんにちは。
 夏が終わりました。僕の中では夏の終わりを、日中の最高気温が30度を超えなくなる程度と定義しています。いや、28度や29度でも十分に暑くて、心まで溶けそうなんですけどね。

 ちなみに、「夏と言えばビール!」と書こうと思ったんですけど、日常生活も仕事でもアルコール飲料を欲しない僕にとっては、夏にビール! のような楽しみはないのです。
 それよりも、この秋の涼しさが進むにつれて、「ああ、夜更け時にはこたつに入りたいなあ」と思う感覚の方が僕は好きであって、期待に胸を膨らませているところです。

 しかし、僕の家のリビングにはこたつがありません。なんというか、買った家の雰囲気に、こたつが合う気がしないんですよね。

 そういえば、最近はネットショップで家具レベルの大きな買い物をする際に便利な機能があります。スマートフォンのカメラで部屋を撮して、VR技術を用いて画面上にこたつを仮想出現させてくれるやつですね。ただ、この機能を使ったところで、実際にこたつが届いても「思ってたんと違う!」となりそうな気がしています。
 まあ、実際の店頭でこたつを選んだところで、いざ設置してみると「思ってたんと違う!」と同じ発言になるのかもしれませんが・・・・・・

 いや、「思ってたんと違う!」という同じ言葉ながら、実際に置いた時のギャップをどこに感じるかは店頭でとネットショップとで、別の種類だと認識しています。

 具体的に言えば、あなたも想像しているような以下の違いですね。
 ネットショップでの「思ってたんと違う!」は、こたつ布団の手触りとか匂いとか、天板の硬さや運転音の大きさや温まり方のギャップなどでしょう。一方、店頭での「思ってたんと違う!」は部屋に設置したときのサイズ感とか、他の家具との調和が取れていない景観に落胆することなどでしょう。

 こんな違いがあるんですけど、別にどっちがいいとか僕は言っているわけじゃないんです。
 もしかしたらこの先の未来に、スマートフォンで匂いを再現した香料が噴射される機能が付くかもしれません。あるいは、手触りを再現するような「お触わりにぎにぎツール」が開発されるかもしれません。するとどうでしょう、先ほど挙げたギャップのいくつかは解決される可能性も見えてきます。

 つまり、もっともっとテクノロジーが進歩し、インターネット上に更なる情報が詰め込まれ、僕らは便利になるのでしょう。あらゆるものがデータ化され、僕らは事あるごとに、そして今以上に、データに触れることになるのでしょう。
 そしたらば、どうでしょう。
 インターネットの上に無いものは何になるのでしょうか。

 音、匂い、感触、あるいは味さえもデータ化されたとしたら──部屋には「身体まるごと感触ツール」なるものが設置され、部屋1つ分を使って仮想空間の感触を再現し、体験できるほどに。
 ん? そしたらもう普通にこたつに入ってるんと同じじゃないんですかね。

──いえ、もう一つ、データ化には忘れてはならない部分があると思うんです。
 粒度です。
 だって、いくら高音質の音源っていったって、生音とはイコールではないでしょう? 聞き分けはつかないかもしれませんが、イコールではないんです。だって、物理的な音の波を関数で表していて、そこには圧縮があって、復元があるはずですよね。

 そしたらそしたら、絶対に生音=データ音源ではないわけです。だから、匂いだって、感触だって何らかのデータ変換によって再現されてるわけで。それは生とは違うんですよね、生とは。
 その時点で、粒度は落ちてます。なだらかにされているのに、粒度が落ちるんです。

 だから、僕が言いたいのは、データに包まれていく僕達は非常に粒度の粗いデータの海の中に身を投じてるわけですね。これが良いとか悪いとかは別として、僕らは、あなたは、いま目の前のスマートフォンか何かの端末に、粗い粒度の体験に、身を投じているはずなんです。

 もう一度言います。
 良いか悪いかは別として、なのです。

 じゃあ、この、あなたが読んでる文章はなんなんですか? 画面上の白、あるいは黒の塊や線はなんなんですか? いえ、何でもありません。ただの文字であり、言葉であり、文章であります。

 僕らはそもそも、あなただって、昔から粒度の粗い「言葉」や「文章」というツールにどっぷり浸かってるってことですね。言葉や文字になった瞬間に、確実に粒度は落ちているはずです。

 はい。
 ところで、もし、僕がガブ飲みするようにのめり込んだ小説があったとして、主人公とその恋人がいちゃついていて、あるこたつの中でめくるめく愛のシーンを繰り広げていたら。そして、愛のシーンに出てくるこたつが、めちゃくちゃ丁寧に描写してあったら。

 そしてある日、僕はまとめサイトでこんな記述を目にします。
【小説『愛のこたつ』に登場するこたつはこれだ!! ○○○製の商品名『△△△』】
 僕は翌日、そのこたつを買うかもしれません。店頭にも行かず、商品説明もレビューも読まず。

 いや、知りませんけど。
 可能性はあるんじゃないか、と僕は言いたいだけです。いくらデータが増えようが、データが高精細になろうが、データとは正反対の、粒度が粗い粗い「言葉」を「文章」を理由にすることだって、また、あるはずなんだと僕は思います。

 たぶん、情報やデータはもっともっと増えます。情報やデータに価値が見出されて商品化されている昨今ですが、いつか、情報のハイパーインフレみたいなことが起こるんじゃないかと。
 そして、ご存じのように情報バブルは崩壊し、デフォルトを迎えます。

 その時、あなたはどこに座り、何を見ていますか。鳥の声が聴こえますか。誰に、触れていますか。


 おしまい。またね。

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。