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音楽と資産

今年も確定申告の時期がやってまいりました。
「確定申告」「音楽家」
これほどに距離感がある言葉も中々にないのでは、というのが「音楽家」、そして「お金の扱い方」に対する世間一般の認識ではないかと思います。

このポストの目的は音楽家の節税対策について、などではもちろんなく、音楽と資産について自分の考えをまとめることです。もし、もっと実利的な情報を求めている方がいらっしゃったら、少し検索するだけで分かりやすく有益な情報が得られるかと思います。(今、検索したところ以前に藝大でも確定申告講座をやっていたようです)

音楽作品と収益

音楽作品から得られる金銭的利益について、ものすごく大雑把に分けると以下の2種類があります。

  1. 録音作品やそれに派生する権利の運用によって得られる収益。CDやストリーミング、あるいは映像作品での楽曲使用によって得られる収益。

  2. 実演に対して得られる収益。ライブや客演、あるいは録音作品への参加によって得られる収益。

もちろん音楽家によってはグッズ販売やファンクラブの会費なども大きな収益になっているかと思いますが、これらは音楽そのものから得られる収益ではなく、音楽家に付随するタレント性などによって得られる副次的なものですので、今回は除外して考えます。

音楽資産の運用

たまに友人から「レーベルとかレコード会社って何やってるの?」といった旨の質問をいただくことがあります。これに関しては自分が語らずとも、分かりやすく説明した記事がいくらでもあるので詳細は端折りますが、ざっくり言うと「レコーディング費用やプレス費用、あるいはプロモーション費用を音楽家ならびにその作品に投資することで利益を得ること」が彼らのビジネスモデルです。

例えばある新人アーティストに1,000万円を投資し、作品を作る。その作品が2,000万円の売上であれば1,000万円の利益ですが、そのうちの何割かは著作権料、いわゆる印税として音楽家に入るので残りがレコード会社・レーベルの粗利ということになります。
ちなみにレコード会社の傘下にあるメジャーレーベルだと音楽家の取り分は多くても10%程度ですが、インディーズだと50%から多いところだと80%という場合もあります。ごく稀に一発屋(嫌な言い方ですね…)と呼ばれる音楽家の方がいらっしゃいますが、インディーズから作品を出していると案外儲かったりしています。

さて、話を戻します。

「音楽を創り、収益を得る」というと何やら神秘めいた錬金術のようなイメージを持たれることがありますが、こう考えてみてはいかがでしょう?

音楽で収益を得ることとは、作品という知的財産を開発し、それを運用することである。

すなわち、時代を超えて聴衆に求められる普遍的な、村上春樹が言うところの「時の洗礼」に耐えられる作品を生み出し、より多くの聴衆に、長い間聴いていただくことで、音楽家は長期にわたって安定的に利益を得られる、ということではないでしょうか。

日本では作家の死後70年まで著作権が保護されます。また知的財産は不動産などと異なり、固定資産税のような持っているだけでかかる税金はなく、金融資産のような流動性もない、すなわち極めてリスクが低くリターンが高い資産だと言えます。

そして長期的に利益を生み出すために、実演といういわば短期的な投資が必要になってくるのではと思います。
例えば坂本龍一は「Aqua」という楽曲を何度も録音し、もちろん数多く実演していますが、我々は「この時の坂本龍一のAquaはどんな演奏なのだろう?」と思い、いくつかの録音を聴き比べるわけです。この時、Aquaは作曲家から離れた自律的存在である、いわゆるテクストになっており、坂本龍一自身も曲から影響を受けていたと思いますが、話が逸れすぎるのでまたいつか書きます。

再び話を本筋に戻すと、もちろん音楽家にとって実演は単なる投資ではなく、音楽的な自己表現の場でもありますし、実演そのものから得られる利益もあります。例えばテイラー・スウィフトのコンサートの経済効果は "Swiftonomics" という言葉が生まれるほどに凄まじいものがあります。

音楽作品を作ることを資産形成と考え、その資産を運用するために実演を重ねる。言い換えると音楽作品を中心にした循環を産み出すことが、音楽で利益を得ることの本質であると考えます。

誰が資産を運用するのか?

「音楽という知的財産を運用する」という考え方は刹那的な音楽業界においてはあまり一般的でないと思います。一人の音楽家としては、できれば作品を生み出すことだけに集中したいのですが、音楽作品を投資信託のアナリストのような視点で捉えてくれる音楽関係者は多くはないと思います。

だとすると、誰がその資産を運用するのか?
これからの時代は音楽家自身が、その作品の運用に対しても責任をもつべきだと自分は考えます。

音楽家は才能がある生徒みたいなもので、レコード会社やレーベルという学校に守ってもらい、育ててもらい、それでいて社会性は無くて良い(だって才能があるのだから)、という時代は終わりつつあり、これからは音楽家が自分の作品と、そこから得られる収益に対して自覚的になる必要があると思います。

幸いにして時代もテクノロジーも作曲家に追い風です。いまやボタン一つで自身の楽曲を世界中に配信でますが、こんなレバレッジが効く資産は他にありません。この資産を自分で運用しない手はありません。

個人的な気持ちとしては「これしか出来ない人」の作品を心から敬愛しています。
ロバート・ジョンソンのブルース、グレン・グールドのバッハ、アルバート・アイラーのジャズ。
あまりにも純粋で刹那的な彼らの作品は人間の業であると同時に、人類の至宝でもあると思います。

ですが時代は21世紀。インターネットがもたらした接続性、そして可視化によって、全てにおいて透明性が求められ、ある意味白けてしまった現代においては、音楽家も自身の「生業」について冷静にならざるを得ないのではないでしょうか。
しかしながら、幸いにして作家が冷静になったからと言って作品が凡庸になるわけではありません。「情熱の炎」というと煉獄さんよろしく真っ赤なイメージがありますが、本当に温度が高いのは青く、静かな炎ですから。

本当の「音楽的資産」

最後に情緒的な話を少しだけ。
音楽的資産の本当の運用とは何か? それは時代を超えて残っている素晴らしい作品を演奏することです。

もちろん好きな作品であれば、どの作曲家の曲でも良いのですが、個人的にはバッハをお勧めします。バッハはその後の古典派〜ロマン派の作曲家たちとは異なり、極めて職業的な作曲家であったと言われています。(バッハは基本的に宗教音楽家なので、彼にとってのクライアントはいわば「神」だったのですが、時代が進むに連れて作曲家のクライアントは「パトロン」になり、やがて「大衆」になるのですが、その話はまた別のポストで…)

演奏についてはぜひこの映画を観ていただきたいと思います。

邦題のせいで怪しい自己啓発的な作品に見えてしまいますが、本当に素晴らしい映画です。私は台詞を覚えるくらいに観ました。

段々と暖かい日が増えてきました。皆さまも芽吹きの春を楽しみましょう。


追記1:下書きで寝かし過ぎたため、すっかり時期外れの記事になってしまいました。自分も確定申告は既に終えております。皆さまお疲れ様でした。
追記2:本文の内容に相応しい写真が浮かばなかったので数年前の台湾の写真にしました。台湾行きたすぎます。

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