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戻らないということ

年に3~4回は更新できればいいなと思って始めたnoteだが、前回の更新から3年以上の間が空いてしまった。
3年空いたからには、それはもう寺田寅彦のエッセイの如く機知に富み、創刊当初の日本版WIREDのように新鮮な情報に溢れ、奥入瀬の清流の如く淀みない文章を書くべきなのだろうが、そんなことを言っているとまた1年後、2年後、あるいは一生涯書けなくなってしまうので、今年の元日のうちにこの文章を書き終えてしまいたい。

2023年の年末は数年ぶりに大学生の頃の友人に会いに京都に行ってきた。自分は三重県に、友人は大阪に住んでいるので、利便性の面では決して京都が良いわけではないのだが、京都の大学に通っていたということもあり、何となく京都に集合することとなった。
喫茶店(四条にある「生きている珈琲」という店、喫茶店なのに席を予約できる)からの、立ち飲み屋(大学生の頃、ライブ終わりに行って以来、20年ぶりくらいの「たつみ」)、最後はバー(祇園にある「フィンランディア」というバーだが、フィンランドとはあまり関係が無いらしい)という半可通のようなルートで珈琲と酒を飲み交わした。

友人と話した内容はあまり覚えていないが、それは気の置けない関係だからということにしておきたい。ちなみにその友人は取るに足りない話を覚えるのが得意なので、私が覚えていない他愛のない会話も逐一記憶されているかと思われる。

翌日は昼食をとるために「マドラグ」と名前を変えた喫茶店セブンへ。喫茶と言えば余談だが、当時バイト終わりに立ち寄った河原町のソワレは今では数時間待ちの行列が出来ている。若い方たちの間で純喫茶、というか純喫茶に行って写真を撮るのが流行っているそうなので、その影響もあるのかもしれない。以前に誰かから「20年前までのものは時代遅れとされるが、30年前のものは再びお洒落になる」と聞いたことがある。スターバックスからサードウェーブを経て、再び純喫茶ブームが訪れる日が来るのだろうか。

喫茶店を出てから烏丸通を渡って、そのまま東に向かい寺町通まで歩く。寺町通を上がっていくと、かつて自分が結成したバンド「Ruhe Rufen」で演奏したカフェがあった場所に行き着いた。空きテナントになっていたが、床の材質から察するにカフェとしてはもう随分前から使われていなかったのではないだろうか。

カフェの名前は失念してしまったが寺町丸太町の辺り

プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌのように、と言うとやや大げさな喩えかもしれないが、些末な匂いや景色をきっかけに思い出が蘇ってくる。「人間の脳にはほとんど全ての体験が記憶されていて、ただ思い出すきっかけがないだけだ」と、これもまた誰かに聞いた気がする。

スワン家のほうへ、ではなく鴨川に向かって歩き始めながら、思い出したことがある。

京都は私が創作に踏み出し始めた街であり、同時に「自分が創作なんておこがましい」と葛藤した街でもあった。永遠に続くかのような、今にして思えば大変に忌々しい学生モラトリアムに包まれて、何をやっても良い、何もやらなくても良い、だがしかしやるからには…という自我と世界の狭間で狼狽えていた街、そしてそんな情けない人間が許される街が京都だったと思う。同時に京都での出会いが今の自分の音楽制作にも深く関わっている。大学生の頃、アルバイトとして働いていた三条河原町のTSUTAYA(正確にはメディックというフランチャイズ店舗)は、当時の京都のレンタルビデオ店の少なさからか、数多くの京都在住ミュージシャンが訪れる、一風変わった店だった。故レイ・ハラカミ氏をはじめ、つじあやのさんやmama!milkのお二人など、自分にとっては憧れの音楽家と接することが出来たのは、本当に幸運であったと思う。故人の趣味嗜好にふれるのはあまり品が良いとは言えないが、ハラカミ氏がひたすらに機動戦士ガンダムシリーズを借り続けて、最終話までいったらどうなるのだろうと固唾を呑んで見守っていたところ、再び第一話に戻ったのにはある種の感銘を受けた。

ともあれ、苦い思い出や酸っぱい思い出も、記憶という発酵期間を経ることで全ては甘くなり、離れがたい香りを放つものだ。振り返ることの愉悦とでも言うべきか。

話は変わって最近のことを。

恥ずかしながらこの歳になって気が付いたのだが、我々はどうやら成長し続けなければならないらしい。「今のままで良い」「なんなら前のほうが良い」というのは、許されざる選択であり、期待されていると感じる反面、ある種の徒労感も感じる。終わることのない前途への脱力感を乗り越え、前に進むためには何が必要なのか? 自分にとって、やはりそれは音楽であると思う。

エリック・サティの『ヴェクサシオン』、ジョン・ケージの『4分33秒』から阿部薫の即興にいたるまで、どれだけアヴァンギャルドと言われようが、全ての音楽はその時間軸において、前に進むしかなく、それは音楽が音楽として立脚するために必要な背骨のようなものではないだろうか。
全ての音楽は前にしか進まない。思い出という甘い誘惑を振り切って、前に進むしかない。それは自分が音楽をライフワークとして選んだ理由の一つでもある。
ちなみに自分が音楽に選ばれているかは分からないが、今のところそんなに嫌われてはいないように思う。

最後に少しだけ未来のことを。

まずは数年来制作を続けてきたアルバムを、今年こそリリースします。多くは語りませんが、ぜひ沢山の方々に聴いていただきたい作品になりました。
あとはこうしてまとまった文章を書くことは精神衛生上、とても良い効果があるような気がするので、今後は定期的に文章や音楽、できれば動画なども発表していければと思います。

それでは2024年も皆さまにとって良い年になりますよう。

追記1:なんだかんだ推敲していたら元日が終わりました。
追記2:この文章を書いている間に北陸で大きな地震がありました。被災地の方の無事を心より願っております。




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