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002 自転車

 宮本武蔵には、剣だこがなかったらしい。
 一流の剣豪は、刀をやわらかく握り、必要なときにだけ力を入れるので、タコができないそう。反対に、手のひらがごつごつの剣士は、常にガチガチに力の入った未熟者。
 もし、わたしが剣士だったら、間違いなく後者のほう。
 四月に金沢に来てから、両手の中指と薬指の付け根のあたりに、タコができてしまった。原因は刀……ではなく、自転車。
 最寄りのスーパーもコンビニも、家から少し離れている。車を持っていない身としては、自転車は欠かせない。毎日のように乗っている。

 しかし、金沢の道路は、あまりよろしくない。
 震災の影響もあるのだろうが、段差、ひび割れ、でこぼこのトラップだらけ。
 前かごに晩ごはんの食材を入れて自転車に乗っていると、何度も段差でがったんと揺れ、そのたび食材が、ふわり宙を舞う。
 うっかり、前かごに卵を入れてしまい、ぜんぶ割れていたこともあった。エコバックから取り出した卵のパックの、妙な具合のやわらかさと、あの絶望感がいまだに忘れられない。

 そんな道路事情に、運動神経のわるさと、過度な心配性の負のシナジー効果で、自転車に乗っているときは、ほんとうに気が抜けない。
 車輪がひび割れにはまって、自転車ごとひっくり返ったら、どうしよう(ヒヤリとしたことが何度もあった)。それで、運わるく、道路の方にころがって車にはねられたり、用水路に落っこちて溺れたりしたら……と、いやな想像をしてしまい、グリップを握る手に余計な力が入る。そうして、手には立派なタコ。

 宮本武蔵にはなれなくても、せめて田舎道場の師範代くらいには、なりたいものである。



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