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ドラマ『不適切にもほどがある』感想 2024/4/13

素敵なドラマだった。

ファミリーロマンスと言われればそれまでなのかもしれないが、時空を超えてわが子を思う、そしてわが子のわが子を想う気持ちと、それが未来への希望に繋がっていく演出は、僕が最も心動かされるものであった。

阪神・淡路大震災で亡くなった人たちの家族、その子どもや孫たちが、今もその記憶とともに生きていることを思い出させてくれる。

昭和の時代が終わり、平成を経て、令和の今にいたる。

本来、過去の先に未来があって、この世界は地続きである。

独立したものとして現在と過去比較して、どちらが良くてどちらが悪いと論評すること自体がナンセンスなのかもしれない。

現代の不満の答えを過去に求める。今はこんなに息苦しい。昔はこんなじゃなかったのに。そう思う私たちの「昔」はノスタルジーに美化されたどこにもない理想の投影でしかないのかもしれない。

やれ江戸時代はサステナブルでエコな時代であったとか、古代ギリシアこそ文明の最高到達点だとか、旧石器時代の人間こそが私たちのあるべき姿だとか。

今の生きづらさ、生の苦痛を否定するために、過去に救いを求める。

このドラマで描かれた「昭和」もまた、現代の表現である以上はノスタルジーを多分に含んでいる。

このことが、このドラマに対する否定的な意見を生んでいるのだろう。

しかし、このドラマを昭和に対してのノスタルジーという批判だけで片付けるのは浅薄な考えであるように思う。

このような昭和を始めとする昔についてのノスタルジーを含んだ作品が流行るようになると、「啓蒙に対する反動形成だ」という批判がなされる。

でも、僕は「反動形成」って批判になっているのか?とも思う。反動形成上等ではないかと。

今について不満があること。それが変化や改革の一歩である。安易に「昔のほうがよかった」「昔に戻りたい」と考えるのはもちろん良くない。しかし、こう考えてしまう背景には今についての不満がある。

「昔のほうがよかった」という考えには同意できない。その時代には、その時代に不満をもち苦しんでいた人たちがいるはずだからだ。しかし、「昔に戻りたい」と考えている人たちの「今についての不満」には耳を傾けるべきではないだろうか。

その「昔のほうがよかった」という思いに潜む今の生きづらさ・苦しみを「反動形成だ」と黙らせてしまっていいものだろうか。

昭和はひどい、令和もまぁひどい。そんな風に描いてみたこの作品は、ひどいだろうか?

ひどいのだろう。でも、最後のテロップが示したようにこの作品はそのことにどこまでも自覚的だ。

追記

主題歌のCreepy Nuts「二度寝」が、明るいようなでも少し悲しくもあり涙を誘うような曲調でもあり、自分と自分の娘の死期を知る主人公の、それでも未来は素敵で明るいと思う、心情が表現されていてこのドラマにぴったりの素敵な曲だと感じた。

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