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個人を、そのひとの属性を主語にして語るのは、その人を殺すのに等しい。

こんにちは。小学校時代の「女性初の児童会長」に始まり、今年もうひとつ会社つくったときの「女性起業家」まで、いろいろと「女性」の皮、もとい冠かぶってます、湯川です。

先日、兵庫県広報官として某市の市議会議長にごあいさつしたときには、「美人は得ですな!」と言われました。ほう、人生でほぼ初めて「美人」と称されるのがこの文脈か。思わずフリーズしてたら、聞こえなかったと思われたのか、ていねいにもう一度、ゆっくり大きな声で言われました。「美人は、得ですな!」

ね、こういうときに語られる「女性」って、いったい何なんやろう?


▶たまたまなのに。なんなんだ。

似た経験があります。
かつて私はスペインで、10年間、移民でした。日本人であり、それ以前に「アジア人」です。ある日タクシーに乗ったら、運転手に「お前は何人だ?」と聞かれました。

「日本人ですが?」と答えたら、「そっか、韓国人だったらここでお前さんを放り出すところだったんだがな!」と言われました(※当時、日韓ワールドカップで韓国がスペインに勝利し、スペインでは小さな韓国人バッシングが起こっていました)。
そのあと運転手は「そしてお前さんがもし中国人だったら、すぐさま国へ帰って二度とスペインに来るなというね。いや、中国人はタクシー乗る金はないか!」と言い、そこから、噂で聞いただけの中国人悪口を続けました。

その日は私の隣に日本から来た母が乗っていたこともあり、争いが起きるよりは、と聞こえないふりをしてやりすごしましたが、めっちゃくちゃに後味が悪かった。

日本に生まれたのは、たまたまなのに。なんなんだ。
そして、女性に生まれるのも、たまたまなのに。なんなんだ。


▶個人を、そのひとの属性を主語にして語るのは、その人を殺すのに等しい。

主語が「女性は」「日本人は」とか、大きな「属性」になった瞬間、いま・ここにいる個人が吹っ飛びます。タクシーの運転手にとって、あるいは某市の市議会議長にとって、「湯川カナ」という個人は、どーでもいいんです。

個人を、そのひとの属性を主語にして語るのは、その人を殺すのに等しい。
個人が主語で、属性として「女性」や「日本人」がある。
ちなみに、他にも「シングルマザー」や「ヤフー立ち上げメンバー」などの属性のすべてが、いま、私は大好きだよ。自分が女であることが嫌だった時期もあるけどね。


「男」も「女」も、属性のひとつ。
「男/女」でもある、それぞれの個人が、お互いに力を合わせて、めいっぱい幸せに生きられる社会がいいなあー。

たとえば図形の△だったら、個(individual)でもあるし、集まったら大きな図形にもなるし、なんだったら立体にもなるし、限りなく円や球に近づくこともできる。
『男女“協働”△』くらいが、私は、いいなあ。


以上、「女性活躍の活動もやってます」と言うと、いろいろ誤解を受けるので、書いてみました。私が実現したいのは、個人が主役となって参画できる社会。男でもね、女でもね。

ただ、いま、日本のジェンダーギャップ指数が世界153か国中121位とかだからさ(※2020年)、女性活躍からするしかないじゃん。ねえ?


※令和2年度、国立女性教育会館(NWEC)主催「男女共同参画推進フォーラム」に、リベルタ学舎のプログラムが採択されました。私たちがやっている女性活躍+働き方を考えるプログラム、無料で参加いただけます。もしご関心あれば。

http://lgaku.com/index.php/event/0916-danjo/


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