見出し画像

解放されただけでは、この社会には、その次の「自由」なんてなかった

「世界平和を実現する」は若干うさんくさいだけなのに、「世界中の人々の幸福を実現する」となると100%「やばー」となるのは、なんでだろう。

前者が「客観的な状況」なのに、後者が「主観」に踏み込んでいるからじゃないだろうか。他人の主観をコントロールしようとするのは100%「やばー」だよね。うん。こんど結婚するときは「必ず幸せになろう」と誓い合うより、「必ず三食食べれるようになろう」と誓い合おう。

▶日本のとんでもない「息苦しさ」。

「自由」ってなんだ。私は「自由」という言葉が震えるほど大好きで、今年で10年目になる会社の名前にも「リベルタ学舎」と、ずっと住んでいたスペインの言葉で「自由(libertad)」を入れてしまった。でもその意味は?

サッカーの南米の大陸選手権大会の名前「コパ・リベルタドーレス」は、「解放者たちの杯」という意味で、征服者だったスペインから南米を解放した人たちをたたえている。スペイン語の「リベルタ」の語源は、「解放する(libertar)」。つまり「解放された状態」が、「自由(libertad)」。

スペインで10年暮らしてきて、3歳のこどもを連れて帰国して感じたのが、日本のとんでもない「息苦しさ」だった。「こうあるべき」であふれている。3歳だから何ができるべき、母親だからこうあるべき、もうアラフォーだからこうあるべき……うえ、しんどい。

その頃の私は、「~から(解放される)自由」を、めちゃくちゃに求めていたんだと思う。


▶解放されただけでは、この社会には、その次の「自由」なんてなかった。

会社は1年で経営破綻した。貧乏になった。離婚してシングルマザーになった。もっと貧乏になった。「社会的信用」なんてなかった。クレジットカードなんて作れない。買い物は手元の現金でしかできない。いや貧乏だから、その現金がないんだってば。

解放されただけでは、この社会には、その次の「自由」なんてなかった。「~への自由」というのかな。やりたいことをやってみる、生きたいように生きる、そんな、未来をつくっていく「自由」。

私は、社会に合わないひとたちが、力を寄せ合って生きる場所をつくりたかった。未成年には「不登校や学校がいまいち合わないこどもが学べる場」、成人には「組織がいまいち合わない大人が仕事をつくれる場」。それを実現できる「自由」が欲しかった。

地域の雑用係みたいな仕事をしながら、数年間、資金を貯めて、もう一度拠点をつくった。こども向けの学校外教育事業を続けながら、8年目となる2020年、「大人が仕事をつくれる場」を法人化した。いま数十人の個人事業主と、毎日「どうやったらみんなが食っていけるか」を考えながら仕事をつくっている。人の数だけ仕事をつくっていくかんじ。


▶それは「選択肢をもてること」なんじゃないか。

「~への自由」、生きたいように生きる自由。それは「選択肢をもてること」なんじゃないかなと、「自由学舎」10年目のいま、考えている。

この数年で「副業」「複業」ができるようになって、選択肢がもてる機会が増えた。個人事業主でも会社経営でも、一社の下請けであるよりも、広く取引先を持つという「選択肢の幅」が、事業や生き方の「自由度」を上げる。それは会社の「生き死に」にかかわる。

こういう時に思い出すのが、東京大学の准教授で「脳性まひの小児科医」として知られる熊谷晋一郎さんの話。
東日本大震災のときに、エレベーターが停まってしまい、すぐに大学の研究所から避難ができなかった。このことから熊谷さんは、「ひとつの手段に頼らなければいけない依存ではなく、より広く依存先をもつことが自立である」と考えるようになったという(うろ覚えなので詳細違うかも)。

より広く、依存できるようになる。選択肢を増やす。それが、次に訪れる瞬間の「自由」をつくる。


▶心の中に選択肢を持つ…といったら、綺麗すぎるかしら。

「じゃあ、いまそんな選択肢を持てない人は、どうするの?」と、よく言われるし、自分でも考える。

こういうときいつも思うのは、『夜と霧』のV.E.フランクルが、アウシュビッツでどうやって生き延びたのかということ。絶望的な状況にあって、彼は、「いつかここから出られるだろう」と期待するのではなく、「いつかここから出て、聴衆の前で、心理学者としてこの体験を話している自分」を想像していたと記憶している(うろ覚えなので詳細違うかも)。

心の中に選択肢を持つ…といったら、綺麗すぎるかしら。でも私は離婚直後のどん底の日々、スーパーで「十分に加熱してください」と注意書きされたおつとめ品から買い物カゴに入れながら、「うーん、まさにハードボイルド…ってネタできた」と思っていた。

もちろん、生きる場所はアウシュビッツじゃない方がいいし、買う野菜は新鮮な方がいい。だから「必ず三食食べれるようになる」を、みんなで誓い合ってやってるのだ。

▶ベキベキ、って、まんま硬直音やん。

「~からの自由」の後に「~への自由」もあって、そこにはたぶん選択肢の多さが関係する。
もちろん「自由を選ばない自由」もあると思う、でもそれを、他人にはおしつけちゃダメよ。

日本で多い「~べき」って、「選択肢を狭めなさい」だよね、そういえば。ベキベキって、まんま、硬直音やん。そら、しんどいわ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?