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「違和感」の授業①ー連れションで発動する「自分を守るアラーム」

こんにちは。私は社会人(大人)向けに、よく、「自分で考えて行動しようぜ」(アントレプレナーシップ)とか、「自分もみんなも幸せにしてみない?」(企画力・編集力)とか、「どうやって力を寄せ合って”素敵なこと”を実現する?」(チームマネジメント)とか、「どうやってみんなを巻き込む?」(広報)の講座をしています。

そこでいちばん大事なのは、個人の「違和感」だと、本気で思っています。これからの時代は、ますますそうなると考えています。でも、社会に出る前の学校って、違和感があると、けっこうしんどい場所。なので、せっかく春休みが長いところも多いし、私が考えている「違和感ってすごく素敵だし、すごく大事」という話を、いくつかの視点からさせていただこうと思います。


▶「ねーねー、一緒にトイレ行こー」

私が小中学校のときにいちばん苦手だったのは、「連れション」でした(今も言うのかな?)。休み時間になると、女子(※私は女性です)が集まってきて「ねーねー、一緒にトイレ行こー」と誘うやつ。もちろん35年前だって女子トイレは個室だったので、連れ立っていくのは個室に入る前までなのですが。

いや、そもそも尿意とは生理的現象であって、「よしっ、頑張って尿を出すぞ!」と気合いでなんとかするものではない。しかも私たちは捕虜じゃないから、50分ごとの休み時間にいつ行ってもいい。トイレの場所だって、教室から廊下に出て左に曲がって1組の先の階段の先で、道中で車にはねられたり誘拐されたり野生動物に襲われる心配もなく、ひとりでもぜったい安全に着ける。

すなわち、現代日本の学校におけるクラスメートからの「一緒にトイレに行こう」という要請は、かくも非合理的。……なのだけど、当時はそんな理屈より何より、ただただ「嫌!」と感じていたことを覚えています。


▶「なんで一緒にトイレせんと?」

連れションの誘いを「んー、いいやー」「行かなーい」と、強烈な嫌悪感を(それでも)だいぶおさえて答えるうち、誘いの声がかからなくなります。ホッとしていたら、ある日トイレに呼び出されて(※今度は「お誘い」じゃなくて「呼び出し」ね)、クラスの中心グループにぐるっと囲まれて「カナちゃんさ、なんで一緒にトイレせんと?」(※九州弁)と責めらました。

その中に、自分では親友と思っていた子の姿を見つけた時には、絶望的な気分だったなぁ。

ともかく、「いや、トイレひとりで行けるし、みんなで行く必要性ないし、そもそもいま尿意がないから」という、私にとって(そしておそらく安全な地域に暮らす10歳以上の多くの人類にとっても)当然だと思う考えは、そこではまったく通用しませんでした。絶交とか言い渡されたのじゃなかったかな、たしか。


▶「そこ」だけのルール

この「連れション」に象徴されることに、何度か死にたいような絶望も感じながら、私は小学校・中学校と過ごします。高校時代は別のクラスの子たちとお弁当を食べたりもできるようになってちょっと楽になり、気がつくと、大学やその後の社会人生活で「一緒にトイレ行こう」と言われることは(治安の悪い外国滞在中を除き)ありませんでした。

そう、大人になって、わかったのです。やっぱり、トイレは、一緒に行く必然性はないんだ。「連れション」は、「そこ」だけのルールだったのだ、と。

「そこだけのルール」というのは、つまり、「『どこでも通用するルール』ではない」ということ。「どこでも通用する」というのは、「普遍」や「常識」。ということは、「そこだけのルール」は「特殊で非常識なルール」と言い換えることもできますね。


▶人間の、とても優秀なセンサー

「連れション」は、ごく限られた場所だけで成立する、特殊で非常識なルールだったのでした。ただし一般的に、そのことがわかるのは、その「限られた場所」を離れたときです。(「ヘレかつ」って全国的には「フィレかつ」なの? とか、チーム分けするときって全国的にはグーパーじゃないの? とかと同じで)

とはいえ! なのです。とはいえ、人間にはとーっても優秀なセンサーがあって、それが自分の生命を脅かす可能性があるときには、理屈ではなく肌感覚で「なんともいえないけど、嫌な気分」がするようになっているようです。これは麻雀をしたりしているとよくわかるのですが、ともかく。だってね、私たちは生き物なのだもの。「このままいくと、なんかヤバいぞ」と感じないと、すぐ死んじゃう。そんなアラームが、たぶん「違和感」です。

「いや、なんかぜったい無理」という拒否反応は、きっと、あなたの生命を守ろうとするアラーム。ちょうど、腐ったものを口に入れたらオエッとなるのと同じなのだと思う。


▶圧力に負けない自分がある。

実は日本では、いわゆる若者といわれる10歳から39歳までの死因の1位は、自殺です。そして近年、日本全体の自殺者数は減り続けているなかで、10代前半の自殺率は増え続けています。(ともに厚生労働省)

若者、とくに10代前半が「生きづらさ」を感じる理由のひとつに、この「連れション」に代表されるような同調圧力がある、と言われています。でもそれは本当は「特殊で非常識なルール」なのですよね。

同調圧力のなかで、違和感があるということは、言い換えると、圧力に負けちゃわない「自分」があるということ。そして、その自分を守る「センサー」がちゃんと機能しているということ。


▶我慢して食べたら、死んじゃうよ。

実は「KARO-SHI」(過労死)という単語は、そのまま外国語として通用すること、知ってました? それくらい、「日本くらいでしか見られない特殊な事情」なんです。あるいは、たくさんの人が亡くなった第二次世界大戦、戦局が不利になると軍部が「一億玉砕」といっていた歴史もありました。

とても残念だけど、日本には、「組織を大事にして、個人の命を軽視する」、いわば「組織のために個人を使う」文化があるようです。

だから、同調圧力へのセンサーが、すごく大事になる。あなたの命を守るためにね。何かわからないから「オエッ」となったら、まずはその「特殊で非常識なルール」の場所から、全力で逃げること! 死んでは元も子もないから。腐ったものは吐き出す。我慢して食べたら、死んじゃうよ。


▶その違和感が、あなたの生命を守っている。

というわけで、違和感は、まずは今の日本で、自分の生命を守るためにぜったいに必要。そして、これからのVUCAの時代(Volatility(変動)+Uncertainty(不確実)+Complexity(複雑)+Ambiguity(曖昧)=よくわからない時代)に、いつでもどこでも、あなた自身をあなたの拠り所として自分を支えるために、ぜったいに必要なのです。

次回から、「人生100年」「第4次産業革命」「VUCA」等のキーワードで語られるこれからの時代に、なぜ違和感が大事かという話をしていきます。

でも、その前に、ともかく覚えておいてね。その違和感が、あなたの生命を守っているということ。あなたがいま苦しんでいるかもしれない「常識」は、その小さな社会(組織)だけでの常識かもしれず、それは一歩外の社会にでると「非常識」なんだ、ということを。



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