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『VORTEX』

映画『VORTEX』を観ました。
監督:ギャスパー・ノエ
主演:ダリオ・アルジェント、フランソワーズ・ルブラン
公式サイト:https://synca.jp/vortex-movie/

以下はその感想です。


生きていくのは無意味だ。なんの価値もない。
楽しかった日々は過ぎ去っていき、人は老いていく。
顔はしわくちゃになって、記憶は薄れる。

老いてゆくと、今までしてきたことを清算しなければならなくなる。
嘘、ごまかし。愛しているなどと言いながら、いいとこ取りをしているだけだったりする。
だんだんと、息ができなくなってゆく。

この映画は横長の画面が中央で2つに切り分けられている。だいたい一つの画面が正方形になって、2つの正方形で一つの横長の画面が形成される。
それら2つの画面で老夫婦を映す。一方が夫、一方が妻。二人の関係について、過去の話はあまり語られない。とにかく、死にゆく夫婦が主題だ。
人は死ぬ。簡単に死ぬかというと、そういうわけでもないようだ。じっくりと人の死を映画で撮ろうというのが監督の魂胆だろうと思う。
じわじわと、わたしたちは死に蝕まれていく。
夫婦のうち一方が死んでしまうと、当然だが片方の画面は真っ暗になる。画面は、家は、場所は、生きている者たちが支配しているからだ。死んでしまえばその場所を支配することはできない。居続けることはできない。その寂しげではっきりとした事実に、わたしたちはまじまじと目を向けることができるのだろうか。

深夜、老人が心臓病で苦しむ姿。演技だとは思えなかった。観ていられない。目を背きたくなる。観たくない。あのような、あのような無惨なあり方。
しかし、仕方がないのだ。彼は老人ホームへ行くことを拒否した。家には思い入れがあって、家こそ自分自身だなどとと言って、拒否をした。
納得ずくでの死だったのだろうか。いや、そんなことはない。嘘やごまかしが彼にはあった。納得など、してはいないだろう。
だが、死んでしまえば、何もかもが、ただあるように存在するようになる。誰もが、平等に、善悪関係なく、ただ、あるようになる。

しかし、どうだろうか。やはり、過程が重要ではないか。
どのように、あるようになるのがいいのか。
別に、大したことはないのだろうけれど、それでも大したことなんだ。
死ぬまでは、生きているし、意識がある。ずっと暮らしてきていて、寝ていて、荷物がある。
死ねば、それらはきれいに片付けられてしまう。それが、その人以外の人にとってはあるべき姿だからだ。人が一人いなくなるだけで、あるべき姿は形をどんどん変えていく。

誰もが通る道についてを考える作品でした。

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