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マルクス『資本論』の解説書(半分)や関連書籍を読んで

はじめに

カール・マルクス。ウィキペディア曰く、1818年プロイセン生まれ、1883年没。1845年に無国籍者となってイギリスへ亡命。言論活動をしながらヨーロッパを家族で転々と渡り歩き、生活した苦難の人。

僕らは佐々木隆治の『マルクス「資本論」』解説書を読もうという話になりました。それで僕ももちろん読んでいたのですが、9月に入る前にどうしてもこれだけじゃ足りないなと思って別の本を読み始めてしまいました。なんだか佐々木さんの説明は、精読すぎて頭の働かない僕には解読されてゆくマルクスの文章がどこに繋がっているのかよく分からず、長いトンネルをただひたすらに引きづられてゆく感じがして、どうしてもその引きづられてゆく暗いトンネルから小さな抜け穴を見つけ出したいと思って図書館に駆け込んだのでした。(多分長くて暗いトンネルの先には雄大で風が吹く草原が広がっているんだろうとは思うのですが、どうしても僕には寄り道が必要なようでした。)
それで、以下が図書館で借りた本です。
◯熊野純彦「マルクス 資本論の哲学」
◯ハンス・ユルゲン・クリスマンスキ『マルクス最後の旅』
◯チョン・アウン『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』
以下感想文の主題としては佐々木『マルクス「資本論」』をベースにしてはいきますが、ちょいちょい上記の三冊からもアイデアを借りることと思います。多分読み物として面白くなっているはず。


この本を読んで思ったのは、マルクスって難しいことを考えていたんだなってこと。そりゃそうだろう。そんなことは誰だってわかっている。
もう少し詳しく言えば僕の考えも、ほんのちょっとは深く見える。つまりは、「商品」とか、「労働」とか、そうやって客観的な言葉を使って普遍的な議論を心がけていたんだなって思ったのだった。

交換不可能な商品の交換

考えてみると商品を交換するというのも、貨幣を抜きにして考えてみればすごいことだ。全く違う2つの物質を、価値が同じものとして交換する。そんなことは原理的にはありえないことだ。
なぜなら2つは違う物質だし、例えば毛皮とハンマーを交換するとして、毛皮は服になるけれどもハンマーとしては使えず、ハンマーは服にはならない。人間にはどちらのニーズも発生しうるけれども、一方がなくなってしまえば他方のニーズが満たせなくなってしまう。
しかし人間はどうしてもそれらの異なる商品を交換している。それはなぜなのか。というか、どうやって僕らは交換をし始めることができるようになったのか。交換をし始めた人は一体どのようなことを考えたのか。マルクスは一つの考えを示した。これは形而上学的な、つまり現実世界では観察されない抽象的な議論だった。
マルクスはその価値の説明として労働という人間の振る舞いを持ち出した。人間が労働をすることで商品が生み出される。とすれば、商品には「抽象的人間的労働」と呼べる価値が含まれることになる、とマルクスはした。繰り返すが、これは目には見えない形而上学的な議論だ。そしてその「抽象的人間的労働」を価値あるものとして商品を交換してゆく。
そのようにして、社会的にある商品に価値あるものとして認識することを「物象」だとか、そうやって錯覚していくことを「物神崇拝(フェティシズム)」だとマルクスは言ったらしい。多分そうやって物々しく表現することで、普通に僕らは交換しているんだけれども、ある種おかしなことをやっているんだって驚かせたり茶化したくてそんな風に表現したんじゃないかと思う。

商品と貨幣の流れ

次に貨幣の話になる。貨幣がどうできたのか。それは商品の一般化によってできた。商品と商品の交換をより高次なものに、一般化させると貨幣になった。
では商品と貨幣のそれぞれの流れはどのように見えるだろうか。取引したい人がいて、商品があって、貨幣がある。商品と引換に貨幣がやり取りされる。人がいないと商品も貨幣もやり取りされない。
まるで人が川岸で、商品が金の河を行ったり来たりする。金は一定方向に、川上から川下へ流れていく。
川下には資本家が構えている。金は資本家に流れてゆく。人間の欲望は図りしれず、直接的交換可能性を持つ貨幣は蓄蔵を人に促す。

だけど、どうしてこんなことを考えられたのだろうか?

大体以上のような内容について、僕らが読んだところでは書かれていたと思うんだけど、でもどうしてこんなことを考えられたのかとも疑問に思った。
それで考えたり、参考の本を読んでいた。それでクリスマンスの『マルクス最後の旅』を読んで、マルクスの亡命生活を想像していた。
多分彼は物の売り買いのしがらみとか、この人からはこういう関係で、だから買わなきゃならないとか、そういう縁による人のつながりが分からなかったんじゃないかと思う。そしてその分からなさがうまい具合に商品や貨幣の抽象化をマルクスの頭の中で生み出した、ということなんじゃないだろうか。

図式化と科学

寝て、深夜に起きてしまって、ふと抽象化というのは図式化のことだろう、川の流れのような図式化がマルクスに起こったんだと思った。

川は図式化して初めてわかる。しかし川の流れは複雑で、図式化したものと現実とは若干異なる。例えばマルクスの図式化した川は明らかに女性を軽視した図式化だった。女性の再生産についての見落としがはっきりと色濃くあった。
しかし川の流れのベクトル、方向性に狂いはなかった。(括弧付きの)「社会」についての知見は人類として間違いなく深まった。しかしそれは当然ながら誤りを含んでいた。しかし川の流れを知らずにいることなど不可能だ。そんなに人類は非合理であり続けたいと願っているわけではなかった。

話が非常に飛ぶのだが、福島原発処理水放出の問題。「科学的に考えれば」(素人の私としても)どうやら安全だと思われる。この時の「科学的に」とはいったいなんだろうか。
これもまた川を描くようなものだ。現実の川はどこか微妙に異なっている。しかし今分かっている手法で川を描き切り、その描いた川でもって行動し始めるのもまた一つ必要なことではある。
何をしたって結局は誤りを含みうる。モニタリングとは統計でしかない。僕らは確率論的な世界に生きていて、もしかしたら次に食べるマグロのたたき丼に放射能物質が多く含まれていて、数年後に癌になるのかもしれない。しかしそれは福島原発の処理水放出があろうがなかろうが起きていたことかもしれないし、あったから起きることなのかもしれない。
訂正されてゆく科学は僕らを守り切ることができるのだろうか。いや科学は僕らを守るためだけにあるんじゃない。科学は単に事実を見極めるための道具にすぎない。リトマス試験紙にすぎない。リトマス試験紙がいくら有能だからって、数枚に一枚は間違えるし、間違ったリトマス試験紙でもって調べた結果を信じて食べて人間が死ぬこともある。人間は脆弱だ。

ベクトルとしての川の流れ

ベクトルとしての川の流れがある。つまり科学の潮流のことだ。これに乗っかるということは自分から管理されてゆくということだ。しかしそれは
行動でもある。活動でもある。科学によって管理された活動としての川の流れ。ある一方向に定められた流れをラフティングする活動。しかし描いていた川の流れとは微妙に違う方向へと流れてゆくこともある川の流れ。それは川の流れの描き方が人間は下手くそだからだ。完璧に川の流れを描くのは不可能。ベクトルを完璧に把握し切ることはできない。あくまでも方向性としてしか把握できない。結局は雰囲気や気配でしかないのかもしれない。
だがそれがないと我々人間の近代的な、都市的な生活は成り立たない。あくまでもこれは都市生活者にとって非常に重要なラフティングに過ぎない。いや農村生活でも合理的に生きる人々にとっては大切なのかもしれない。とにかく僕らは方向性なしに活動できない。方向性があるから活動できる。合理的人間にとって方向性を得るのに信仰よりも科学を選択する。

見過ごされた差違と貝塚

図式化は単純で方向性や管理を生む。だが細かな流れや微妙な傾きの違いを描ききれない場合もあり、現実とは若干異なりを見せる時もある。例えば確率がその微妙なベクトルの傾きの違いを生む。女性が、傾きの違いを生む。他に何かあるだろうか。見過ごされた何かが。

僕は見過ごされているものに興味がある。人が見向きもしないで簡単に手放して残してゆくものに興味がある。残り物には福がある。本当だろうか。福があればいいとは思うのだが、たとえ無かったとしても、無いなら無いなりに興味がある。興味があるだけで調査という名の行動に移せていない気もする。ひどく臆病だから。ひどくめんどくさがりだから。
なぜ捨てたのか?から興味がある。なぜ捨てざるをえなかったのか?に興味がある。貝塚に残された貝殻のように。そこには海がかつて広がっていた。しかし今は住宅街の中に広々と貝塚が残されている。
貝塚はゴミや遺骨の集積所で、資本家は資本の集積所。構造は似ているけど、集まるものが違う…のだろうか。

感情の貝塚

チョン・アウン『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』は、著者のチョンが韓国で主婦をしながら、自身の境遇に疑問を感じてフェミニズム関連の書籍を読み進める読書記録の本だ。その中のシルヴィア・フェデリーチ『革命のポイントゼロ』を読んだ感想について次のように書いている。
チョンはシルヴィアの本を読む前まで、女性は資本主義体制の中で暮らしてはいるが、専業主婦だけは資本主義とかけ離れたところに位置づけられていると考えてきた。そして読んだあとは次のように理解するようになった。

人類が資本主義以前の体制(自給自足、物々交換、ギルト、相互扶助、身分社会など)から資本主義体制に移行する際に、女性は一緒に移ってこずに残されたのだ。資本主義は[…]労働者を無償でケアする役を女性にあてがった。そして、それを女性に受けいれさせるには、女性全体を資本主義以前の時代に残しておかなければならなかったのだ。人の上に人がおり、人の下に人がいるという概念が明確で、仕事に対し貨幣に換算された報酬を受け取らず、感情表現と素直さが生きていた時代に。

チョン・アウン『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』pp.189

一般に現代先進国では貝塚は発生しない。それは合理的に人々が動くようになったからだ。ゴミは分別されて「適切に」処理される。だが感情はどうだろうか。現代において女性は感情の貝塚になっているのかもしれない。女性は清濁併せ呑まされている。感情や精神という目に見えないあり方だから、飲み込んだり忘れ去ったりするだろうという思い込みがあるのかもしれない。また実際そのように飲み込んだり忘れたりしている女性も数多くいるのかもしれない。
貝塚は確かにゴミ捨て場だった。だが同時に歴史を克明に残す神聖な現場でもある。女性はどうだろうか。女性は貝塚のように、そもそも具体的な現場ではない。「女性」という言葉は単なるカテゴリーに過ぎないから、それだけでは対象を定めきることができない。それに女性に対して溜め込んでいるのは感情であって、物質ではないところにも難しさがある。

しかし、なぜ現代でマルクスを考えるとこのような議論になるのか?

さて、なんだかマルクス『資本論』と話がズレてきている気がする。『資本論』では労働とか貨幣とか価値とか交換とか、そういうことを話しているはずなのに、女性の議論が入ってくると感情とか精神の話になる。いや、もちろんそれでいいのだ。だけどこの文章では『資本論』の話をしたい。そこで『資本論』からフェミニズムへの影響について考えてみる。
それはやっぱりヘーゲル左派の考え方の影響だろう。ヘーゲル左派らは社会が何らかの支配によって成り立っていると考えた。その支配者は宗教だとした。宗教は人間が作り出したものであるにも関わらず、人間にとって疎遠なものとして現れてしまった。これを彼らは「疎外」とした。
マルクスはこうしたヘーゲル左派の議論を批判的に引き継ぐ。確かに宗教による疎外に見えるようなことは起こっている。しかし社会を実際に支配しているのは宗教による理念ではないと批判した。人間が生きるのは現実世界における物質の中である。人は物を食べて生活している。社会の支配やそれによる疎外が起こっているのは、宗教などの理念の中ではなく、現実世界で操作される物質やそれにまつわる人間の行動にあるだろうとマルクスは主張した。

ここから考えての僕の感想なのだが、だとするとフェミニズムが感情や精神、ケアの話に入っていくなら、単純に考えてヘーゲル左派の宗教の「疎外」について考え始める必要はないのだろうか。フェミニストにとってヘーゲル左派の議論はどのように映るのだろうか。
と考えて検索したら、それらしい議論が見つかった。勉強できることは色々あるようだ。。。大変。

長くなっちゃったので、これで切ります。また、読書会で。

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