見出し画像

牛嶋神社

毎月、1日に朔日参りとして、
氏神様の牛嶋神社に参拝に行くことが
ここ数年間の慣しとなっています。

でも、今日30日、近くのカフェに行きたくなって、
ついでに牛嶋神社にご参拝。

ルーティーンとなっている参拝と違って、
不思議に、その時とは違う景色に見えます。


そういえばずっと以前、私がまだ小学生の頃は、
たしか、神社の傍の公園内には売店がありました。

幼少の頃、じいちゃんと一緒に牛嶋神社を訪れた際には、
この売店前のベンチに腰掛けては、
売っていたおでんなんかを摘むこともあったなぁと、
突然に記憶が蘇ってきました。


じいちゃんは、内孫で長男の私を
すごく可愛がってくれていました。

よく浅草なんかに連れて行ってくれては、
寅さん映画を観せてくれたり、
帰りにはフグ料理を食わせてくれたりと、
今思えば、溺愛してくれてたんだなぁと感じます。


それなのに、私は高校生くらいになると、
遊ぶ金欲しさに、じいちゃんの財布から定期的に
こっそりと一万円札を抜き取っていました。

当時はさして罪悪感も感じていなかったのですが、
後から聞くと、よく祖母に「金が足りない」などと
呟いていたらしいことを聞いて、
自責の念に駆られた記憶があります。


じいちゃんの認知症の症状が出てきたのも
ちょうどその頃からでした。


高校の時のある日、深夜にお茶の間で
妹と雑談していた時のことです。

突然、夜中にも関わらず、
じいちゃんが茶の間にやってきました。

眠れなかったのか、
それとも目覚めてしまったのかわかりませんが、
茶の間に来たじいちゃんは私たちを見てこう言いました。

「まだ起きてたのか。。。」

じいちゃんはそう言うと、
スゴスゴと湯呑みに日本酒を注いで
その場を立ち去ろうとしました。

最近、認知も激しくなってきたにも関わらず、
酒が辞められないじいちゃんを
心配していた祖母の愚痴が
一瞬私の脳裏に蘇りました。


当時の私は、じいちゃんの心情などは理解できず、
世話をしている母や祖母の大変さや愚痴に感化されていました。

周囲に迷惑をかけているにも関わらず、
そこに配慮できていないじいちゃんを
軽蔑するような気持ちがあったように思います。


そのまま酒を注いだ湯呑みを
持って行こうとするじいちゃんの後ろ姿に…

「ドア閉めていけよ、ジジィ!」

そんな声を投げつけました。


あの声が聞こえなかったはずはありません。
にも関わらず、じいちゃんは振り返ることなく
そのままその場を立ち去り、自室に帰っていきました。



じいちゃんが亡くなって40年近く経った今でも
あの時のシーンは私の脳裏に焼き付いています。

あんなに可愛がってくれたじいちゃんに
どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。

溺愛していた孫から
晩年になって侮蔑されるようなことを言われた
じいちゃんの寂しさや悲しさはどれほどのものだったろうか。


そんな、ちょっと後悔の残る
じいちゃんとの思い出の売店を思い出しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?