安倍氏事件から感じたこと

この度の安倍元首相襲撃事件について感じたことです。

今回は完全な警察の手抜かりであり、いろいろと教訓を残すこととなりました。事件の検証は以前申しましたので、今回は短く、今回の事件で感じたことです。

この度の警備にあたった警察官は相応の訓練は受けていたし、小型武器や無線機等の装備品を携行していたと思います。しかしながら最悪の結果を起こしてしまいました。何故なのか。まず大前提として性善説的な考えが日本人の根本にあるということです。要人警護は年間、おそらく万の単位で行われています。その中で実際に警護員が要人の身体を暴漢から守った事案は年間に一件あるかどうかと言ったところでしょう。特に銃器を使用した事件は92年の金丸副総裁、94年細川護煕前首相を右翼が狙った事件がありますが、いずれもパフォーマンス的に実行されており、そもそも対象に致命傷を与えるような行動ではなかったようです。
しかし、この度は明らかに安倍元総理の命を狙っており、いわば戦後初の事案であったように思います。そのため、警察官も性善説が自然と身についており、何もないのが当たり前になっていたのではないでしょうか。そのため、一回目の発射音で動けていたのは警視庁警護課員(SP)のみで、奈良県警の警護員は身をかがめているような有様でした。ただ、安倍元総理も同じように身を屈めていれば、このような結果にはなっていなかったのではないかと非常に残念です。さらに安倍元総理の腰の据わった動じない態度が不幸な結果になった可能性もあります。もっとも、以前どこかのインタビューで「私は畳の上では死ねないでしょう」と安倍元総理自身が仰っていたのが図らずも的中してしまい、改めてこの人物の凄さを感じてしまいした。
そして、今回の事件で安倍元総理が残してくれた最大の教訓は日本の安全保障についてではないかと思っています。
まず、安倍元総理を日本国に例えて犯人を他国と考えた場合、日本の国防は今のままでいいのかが問われます。装備品や自衛隊員の訓練は相応の実力があるとは思いますが、それを指揮する政府が性善説であれば最も重要な初期の戦闘で日本の体制は壊滅してしまうのではないかと思います。例えば半島から複数のミサイルが発射されても国民に対する指示は正しく出せるのでしょうか。おそらく第一次攻撃で日米の主要基地は破壊されて反撃能力は失われるでしょう、その後の揚陸部隊に対抗する戦闘配置ができるのか。訓練場でしか訓練をしていない現状で日本沿岸の防衛拠点の確保や戦闘配置について実際にできるのか。考えれば心配事ばかりです。防衛費の増額も大切とは思いますが、もっとソフトウェアの充実に力を入れなければ、せっかく安倍元総理が残してくれた教訓は無駄になってしまうかもしれません。憲法改正もソフトウェアのバージンアップかもしれませんが、実行できなければ意味がありません。日本にとって最大の損失を被った今、これを糧にして欲しいものです。


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