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「心眼」

 按摩の梅喜(ばいき)が横浜から馬道の家まで帰ってくる。顔色が悪いので女房のお竹が聞くと実の弟の金公から「このどめくらめ、この脳なし野郎と」罵られたという。幼いころめんどうを見た実の弟の仕打ちがくやしくて仕方ないから明日から三、七、二十一日の間、茅場町の薬師様へ目が開くように願を掛けに行くといい寝込んでしまう。

 がらり夜が明け梅喜は薬師様へ願掛けのお参りに出かける。そして今日は満願の日、どうか薬師さまご利益で目を開けてくださいと祈るが一向に開かない。頭にきた梅喜は二十一日もかかさずお参りに来ているのに目を開けてくれないのは、「賽銭泥棒、やらずぶったくり」だなんて毒づき始める。

 ちょうどそこへお参りに来た馬道の上総屋の旦那から「馬鹿野郎、なんてことを言うのだ」と叱られ、目が開いていることを教えてもらう。喜んで上総屋と一緒に馬道まで帰る途中で人力車に乗った芸者連を見た梅喜が上総屋にお竹と今の芸者とどっちが綺麗かと聞く。

 上総屋は呆れて、人三化七とはよく言うが、お竹さんは人無し化十だが、心の美しさは日本一だ、それにひきかえ梅喜は役者も顔負けの男前だ、芸者の小春などはお前にぞっこんだなどと吹き込む。

 仲見世から浅草観音堂へ出ると小春に出会う、小春は目の開いたお祝いをするから付き合ってくれと富士横町の富士下にある待合のつり堀へ梅喜を誘う。

 一方、上総屋から梅喜の目が開いたことを聞いたお竹は浅草観音へやって来る。梅喜が小春と連れ添って行くのを見つけて後をつける。待合の中では梅喜があんな化け物のような女房とは別れて小春と一緒になるなんて言っている。

 これを聞いたお竹が飛び込んで、梅喜の胸ぐら、首にしがみつく。
梅喜 「苦しい、苦しい」

お竹 「どうしたの、お前さん」と梅喜を揺り起こす。

お竹 「悪い夢でも見てたんじゃないの、今日が願掛けの初日だよ」

梅喜 「お竹、おれは信心はやめた。めくらてえのは妙なもんだ。寝ているうちだけよーく見える」

8代目桂文楽「心眼」

 三遊亭圓朝晩年の作で、圓朝は三味線弾き唄いの音曲師、三遊亭圓丸という目の見えない弟子の体験談をもとにこの噺を作ったといわれています。この圓丸は横浜に住んでいたということですが、噺の中でも主人公の梅喜は横浜から浅草まで汽車にも乗らずに悔しさで歩いて帰ったことになっています。

 文楽は談洲楼燕枝からこの噺を受け継いだといわれています。文楽は圓朝のオリジナルにさらに磨きをかけ、「心眼」といえば文楽のものといってもよいくらいにまでこの噺を極めました。前段の夫婦の絆から後段に描かれる人間の弱さ、そしてサゲの「寝ているうちだけ、よぉく見える」まで、良質の文学作品を読むかのような、深みあるストーリーが堪能できる作品です。

 いい落語なのだけれど、現代では放送できない言葉がいっぱいでてきます。ですが、今の時代にいろいろと考えさせられる内容です。よかったら、聞いてみてください。


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