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塀の中の約束

あるケンカ事案

これは、約20年前、刑務官として勤務していた頃の話です。ある30代の受刑者の規律違反について、取調室で供述調書を作成していました。
 規律違反の内容は、受刑者同士の喧嘩事案です。工場で作業中に、一人の受刑者がこの本人に殴りかかって来たので、それに応戦して襟首を持って投げ飛ばし、馬乗りになって殴ったという内容です。
喧嘩の原因は部屋でのトラブルでした。本人は元暴力団組員でしたが、現役の組員が、仮釈放が見込まれている本人に対して、どうせ仮釈放目当てで組から抜けたと偽装しているのだろうというようなことを言って来たようです。
最初は本人も相手にしなかったものの、あまりにもしつこいため、いい加減にしてしてくれと、話を切り上げてその場は終わりました。ところが、翌日の工場で一方的に殴りかかってきたのです。

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涙のわけ

原因は先方にありましたが、応戦して殴っているので、本人も懲罰になります。事案の経過についてひととおり聞き取りをして、供述調書を読み上げました。署名指印させたあと、
「おやっさん、仮釈、もう無理ですよねぇ」
本人がポツリと言い、うつむいています。わからないと答えましたが、更正保護委員の面接が終わっています。通常はこの規律違反で仮釈放申請が取り下げられます。
本人は傷害事件で3回服役していますが、今回は受刑態度も良かったため、2か月程度の仮釈放が認められる予定でした。
「無理いっすよねぇ」
うつむいた本人の目から大粒の涙が膝に落ち、その後も次々と落ちてきます。
仮釈放前の準備でやや長くなっている坊主頭を揺らして、大の男が声を殺して泣いています。突然のことでかける言葉もありません。ひとしきり泣き、本人が、
「すいませんでした」
と弱々しく答えたので、落ち着いたのだと思い取調室から居室に返しました。

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仮釈放手続きの中止

取調中に受刑者が泣くという経験は初めてでした。
本人の心情が不安定であれば、自殺や逃走などの可能性についても考えなくてはいけませんので、私は、分類部門と呼ばれる受刑者の社会復帰に関する部署で、本人のこと尋ねました。
担当者はすでに本人の規律違反のことは知っており、仮釈放手続きの中止について事務を行っている最中でした。

施設からの手紙

担当者の話によると、本人が泣いた原因は、多分、子どものことではないかということでした。
妻とは今回の事件で離婚し、小学校5年生の娘と2年生の息子が児童養護施設で暮らしています。担当者から参考になるかもしれないと、子どもたちからの手紙の写しを見せてもらいました。
姉の手紙には、弟がいい子にしていること、クリスマスまでには本人が迎えに来ることを楽しみにしているという内容でした。弟の手紙にはサンタクロースの絵とツリーが書かれていました。
また、施設の職員からの手紙も同封されていて、姉が弟の面倒をよく見ていること、勉強もしっかりやっていて成績も良いこと、子ども達のためにも早く迎えに来てもらいたいことなどが書かれていました。
担当者もできるだけ早く仮釈放で出所できるように手続きを行っていたので、非常に残念だと言っていました。
私は、社会で待つ人がいるのであれば自暴自棄にはならないだろうと、とりあえず安心しました。
その後、本人は懲罰を受けて、仮釈放にはならなかったのだと思いますが、あまり覚えていません。

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クリスマスの約束

私は、今、刑務官の仕事を退職し、子ども向けの雑貨やおもちゃを販売しています。
クリスマスが近くなると、子どもたちはあれを買ってもらおうとか、これを買ってもらうとか私に語りかけます。でも、買ってもらえる子もいますし、家庭の事情で買ってもらえない子もいます。
サンタクロースはすべての子どもの願いを聞いてくれるわけではないようです。
そして、あの時の施設で暮らしていた子どもたちのことを考えてしまいます。
泣いた受刑者は立ち直ったでしょうか。再犯をしていないでしょうか。刑務官でない私には知る方法がありません。
でも、絵本屋になってから思うのです。
できればすべての子どもたちとの約束が叶えられるように。私たちが、子どもたちとの約束を叶えられる大人でありますようにと。

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