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「歎異抄」を読んでみよう(5)

その2
 皆さんが、関東から京都まで命がけでやってきたのは、ただ極楽浄土に 往生する方法を聞くためですね。そんで、わたしがお念仏による方法以外を 知っていて、さらには、そのことが書かれたお経を知ってるんだろう、とか 思ってるんだったら大間違いですよ。もし知りたいんだったら、奈良や比叡山 の偉いお坊さんに会って、浄土に往生する方法を聞くべきですね。

第二条
 一 おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、 たづねきたらしめたまふ御こころざい、ひとへに往生極楽のみちを 問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存 知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめして おはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししから ば、南都北嶺にもゆゆしき学匠たちおほく座せられて候ふなれば、 かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。 

習志野市高山寺hpより

そりゃあご苦労なことでした

第二条の前半です。
当時、親鸞聖人は京都におられました。どうやったら極楽往生できるだろうと遠く関東から訪ねてきた門弟に対して、「え、前に言ったじゃん。「南無阿弥陀仏」だけだって。他にはなんもないよ」と言ってしまっている訳です。
普通怒ります。「えー、マジか!」「死ぬ思いできたのに」と言う感じです。
親鸞聖人はさらに追い討ちをかけます。
「奈良とか比叡山に偉い人がいるんで聞いてきたらいいよ」
と身もふたもないことを平気で言うのです。
そもそも親鸞聖人はそこら辺りで修行して、結果、念仏一つをいただいたのです。
そこに行けと、そりゃあないですよ。

「わかる」と言うこと

分かる:物事の道筋や相手の事情がはっきりする(例:気持ちが分かる)
解る:物事の内容や意味、価値がはっきりする(例:答えが解る)
判る:事実がはっきりする(例:真実が判る)

どうしたら極楽往生について「わかる」か、と言う問いに突き動かされて皆さんは親鸞聖人の元にいらっしゃったのです。
だから、証文や秘儀について聞きたがる。「南無阿弥陀仏」だけではなく、何かがあるのではないか。
皆が納得できる説明があるのではないか。
そこで、親鸞聖人に言われたのは、
お前ら、「分かる」とか「解る」を求めていらっしゃいましたね。それでしたらあっち方面にもっといい人がいますよ。
私のところに来なくても、「判る」ことはできるのです。
とおっしゃっている。
第二条後半は、そのことを宣言されます。

思いつきのメモ 「三願転入」

「解る」が19願
たとひ、われ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心(ぼだいしん)を発し、諸の功徳を修して、 至心発願(ししんほつがん)してわが国に生ぜんと欲せん。 寿(いのち)終わるときに臨んで、たとひ大衆と囲繞(いにょう)してその前に現ぜずは、正覚を取らじ。
意訳=たとえ私が仏になることができたとしても、全ての人々がさとりの智慧を得ようとし、 諸々の善行(ぜんぎょう)を行い、浄土に往生したいと真実に願えば、臨終のときに必ず、 諸仏・諸菩薩と共に貴方の前に現われます。そうでなければ、私は仏にはなりません。

「分かる」が20願
たとひ、われ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号(みょうごう)を聞きて、念(おもい)をわが国(=浄土)に係(か)け、 もろもろの徳本を植ゑて、至心回向(ししんえこう)してわが国に生ぜんと欲せん。果遂(かすい)せずは、正覚を取らじ。
意訳=たとえ私が仏になるとしても、全ての人々が名号(南無阿弥陀仏=阿弥陀佛からの衆生を喚(よ)ぶ声)を聞いて、 善としてのお念仏を称え、真実の心を持って浄土に生れたいと思い、果(は)たせなければ、私は仏にはなりません。

「判る」が18願
たとひ、われ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。 もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ、五逆と誹謗正法とをば除く。
意訳=たとえ私(法蔵菩薩)が仏になるとしても、全ての人びとが心より争いも貧困も差別も無く、 他者と比べることのない浄土に生れたいと心より念(おもう)ってほしい。 もしその人びと浄土に生まれることがなければ、私はまことの仏にはなりません。 ただ、殺父・殺母・殺阿羅漢(阿羅漢=聖者を殺すこと)・出仏身血(仏の身を傷つけ血を流させること) ・破和合僧(仏弟子の集団を乱すこと)の罪を犯す者、真実の法である仏法をそしる者は除きます。

解説は
歎異抄・執持鈔・口伝鈔・改邪鈔 <東洋文庫 33> 石田瑞麿 訳
を参考にしています。

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