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私の職業、クオンツとは? 私の就職時代

どうも、いつも技術的な話ばかりしておりますが、Twitterでは勉強アカウントで学生から似たような質問(どういう学生だったかやどうやって今の職業になったのか等)も多く、今回はもう少し一般的なお話が出来ればと思い、本記事に書くことにいたしました。

クオンツの種類

大雑把に2種類に分かれるのですが、1つはリスク評価する方のクオンツで銀行で募集しているクオンツは大体こちらになるかと思います。アイボリータワークオンツと呼ばれたりすることもあるそうです。(私はそう呼んだことありませんが笑

もう1つはデータ分析する方のクオンツで、こちらは市場の公開データからパターンや穴を見つけるといったクオンツで、主にコンサルや証券会社、バイサイド系金融機関(ヘッジファンド等)等に生息します。クリスタルボールクオンツと呼ばれることがあります。

私は金融コンサル系のクオンツです。

クリスタルボールクオンツになろうとしたきっかけ

学生時代に振り返ると、私は大の金融好きでした。

ブラックジャックから始まる統計推論は面白かったですし、実際のカジノでは出禁になり、オンラインカジノではイカサマされるというような物語もあり、非常に勉強することが大きかったです。

そこから最初の金融の専門職になろうと考えていて、二つの候補が出てきました。それは、アクチュアリーとクオンツです。

幸い、OBにこの種の職業に就いた方が多く、業界についてはOBからお話をよく聞きました。それでまずアクチュアリーは自分に合わないなと思いました。

次にクオンツのお話も聞いていたのですが、銀行系のクオンツが多く、こちらも自分は正直あまり興味を持てませんでした。なぜなら、私はナチュラルボーンバイサイド(ナチュボン)になりたかったからです。

リスク評価するクオンツは非常に緻密で、大雑把でドリフト(期待リターン)しか見ていない私には絶対この職業は続かないと考えました。

ここから私はナチュボンになる目標を掲げました。ここから実際にナチュボンになっていきます。

就職活動

皆さんと同じく迎えた就職時期、日系の金融機関は一社のみ、その他は全て外資系投資銀行を受けました。外資系投資銀行に絞った理由は、当時新卒でナチュボンになるにはそこしかないんじゃないかと思っておりました。

結果だけ言いますと、日系の金融機関は内定を頂けて、外資系投資銀行は全敗でした。そして、その内定は辞退しました笑

ある外資系投資銀行では、最終面接で残り2名(人事事後報告)で1名採用という水準まで来ていて、落とされました。。。(外資系投資銀行の面接期間が長すぎて途中でイライラしてしまった自分もいたのかもしれません、、、

日系の大手金融機関も、それは立派な建物と場所でしたが、会社名や立地は正直どうでも良かったです。内定いただいてからも色々とお話を聞き、自分がそこで何が出来るのかしか考えていませんでした。結果的に、自分はもっと可能性を広げたいと思い、シンガポールの難関大学で金融を学ぶことを決意します。

留学では母校に助けられました。母校では交換留学プログラムというのがあり、サポートもしっかりしていて、海外の名門大学へ留学に行く際に、学費全額免除だけではなく、奨学金まで出ました。優し過ぎて感激しました。国立大だったので、国民にも感謝します。

最初はシンガポールでナチュボンになる

無事、留学の試験を突破し、いざ、留学へ行きました。

まず、いきなり、米系の大手投資銀行のハイブリッドトレーダーの面接を受けたのですが、面接官から、うちはセルサイドでバイサイドじゃないから、君の興味や経歴ならバイサイドはきっと興味持ってくれるよ!って笑顔で言われて落ちました(この記事ではあまり経歴については語っておりませんが...)。

ご丁寧なアドバイス、ありがとうございました。

ということで、バイサイド受けるのですが、本当にヘッジファンドのファンドマネジャーとして採用されました。

小規模のヘッジファンドだったということもあるかもしれませんが、AUM(運用資金)はそこそこありましたので、晴れてナチュボンになれて嬉しかったです。

海外のヘッジファンドでのナチュボンの生活は非常に派手で、いきなり超高級マンションに住んでおりました(家賃だけで外銀マンの初任給軽く超えます)。これだけ見ると非常に成功しているように見えますが、この生活も一瞬で終わります笑

このヘッジファンドでは、いきなり実弾運用させられていたのですが、ファンドマネジャーということもあり、実弾は私が撃つということまでやりました。そして迎えた市場のクラッシュ、大損した私はクビになりました。その月日約3ヶ月。小規模のヘッジファンドということもあり、リスク管理体制は杜撰で、本来であれば1bpsいくらまでというリスク量を与えられると思うのですが、自分はリスク量=自分に割り当てられた運用資金でした。

ここで気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は学生中に就職して実際に運用してました。日本ではこういうことはまずないと思いますが、海外は何でもありです。

大体ヘッジファンドで一度吹っ飛ばすと横の繋がりもあるので、基本的にヘッジファンドに再就職は難しいです。

これは詰んだなと思い、短いナチュボン生活にお祈りを捧げていたのですが、ここで遂に自分には金融業界ではセルサイドしか道はないと思いました。

基本的にセルサイドは顧客ありきのビジネスですので、投資家である顧客をかなり大切に扱います。私は投資家になりたかったのですが、投資家になるには実力不足だと認識し、投資家のサポート役になることにしました。ただ、戦場で例えるなら、医療班ではなく武器職人になろうと。

幸い、シンガポールでの留学生活では、かなり深い勉強が出来ました。

そこでは主に金融と統計について学んでおりまして、これがタメになり過ぎて正直驚きました。機械学習もそこで学んで、留学先ではかなり短期間で知識を詰め込まれたので、留学中は辛かった(辛い時は母校に電話を入れてました)ですが、結果的に学べることは多かったです。

日本でクリスタルボールクオンツになる

日本に帰国してから、実はまだ学生であった私は、残り短い学生期間で就職活動をします。

今までのことを振り返って考えたことは

職業として何をしたいか
・その職業で自分が生み出せる価値とは

の2点を軸に考えておりました。

つまり、最初から活躍出来ないところにはそもそも行かないという結論に至りました。

そこで自分の強みは新しいことを分析する力だと考え、金融から足を洗いデータサイエンティストになろうと考えたのですが、まさかの金融機関のデータサイエンス寄りの職種から内定を頂けました。

個人的には、分析出来れば良かったなと思っていて、金融であるに越したことはないのですが、そういうわけで金融またやるかってなりました。

就職してからは、日々自由に研究させていただいており、待遇も悪くないので個人的に満足度は高いです。

今こうやって解説記事を書けているのも、今の会社が自由に勉強させてくれているからだと思います。

まとめ

学生または就活生の参考となればと思います。





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