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親の家(実家)片付け問題

親の家片付け問題。

私は四人兄弟の三人目なので、
両親ももう相当の後期高齢者でして。

兄弟は全員家を出ているし、
今は両親二人で住んでいます

ものを捨てられない、
いやむしろ病的に集める習性がある母が、
先日ふと漏らした
「ちょっと片付けたいんだわ」の小さなつぶやきを
わたしは聞き逃さなかった!!!

しかしまあこれが…

ダメですね

やる前は、
母が物を捨てられないとか集めたりするのは、欲張りというよりむしろ不安からというのも、
今までの分析からわかっていたし、

それこそその気持ちを無視してどんどん進めてしまったら、
ますます母の中に片付けに対しての恐怖心(片付ける=どんどん捨てられる!)が増幅するだけなので、

決してそれはすまいと、

母の気持ちに反して捨てることとかないから安心してね、って

母の不安に寄り添いながらやろう、と

思って取り掛かるのに、

ひとつひとつ
これはどうする?って尋ねるたびに

「それは使う、これから使う(何十年も未開封の食器など)」

「それはまたみんなが来た時に使うから(ご飯茶碗ばかり30個ばかし入った箱)」

「それは春に着るコートだ(もうその、春に着るコート8着目くらいなんですけど)

まだ要る
まだ使う
それは置いとく
それはまた今後やる
今バタバタしてるからそれはもっと落ち着いてから

もうね、ひとつひとつ尋ねるたびに
そんな答えで、
結局全然減らないとね、

あんなに「無理やり捨てたり、強要したりしないで、ちゃんと心に寄り添ってやるぞ」と思っていた気持ちが、
完全にイライラに上塗りされてですね、

さらに、
ずーーっと掛けっぱなしで、
肩に埃が積もってた服を、
それは着てた、まだ着ると言い、

ならじゃあなぜ埃が積もってるの!?
と意地悪な質問すると完全に無言

の時は、さすがにイライラも頂点でした。

結局、片付けはもうほんとに
そこそこで終了させられ、
帰り道モヤモヤがもう止まらず。

しかしそこで思い出したのは
「自分の心を揺さぶる出来事はなんらかの必然というか、確実に意味を持つ」
ということ。

手放せない母(父はタイプは少し違うがまた別のやっかいさあり)に対する
このイライラは
わたしのどの部分が揺さぶられているんだろ??

そして、

お母さん達の暮らしが
もっと快適になるといいと思ってるからなんだよ

という気持ちでやってたこと

でもそれがすでにエゴでした

そこまではわかった

だがまだこのモヤモヤの
わたしの中の答えは出ていない

やっぱしアレなのかね、
どんなに善意からでも

「ああすればいいのに…!こうすればいいのに…!」っていうのは、

本人はもちろんその人のためを思って言ってる(つもり)なのだけれど、
奥を探れば結局「その人」のためでなく「自分」の気持ち(を満足させる)のためなのかねえ

そしてその「善意」が
新興宗教やらネットワークビジネスの始まりなのかねえ(笑)

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