多様性? ほっとけそんなもん。

多様性ってよく聞くよね。なんとなく、いいことなんでしょ?って感じするよね。わかる。

Googleで多様性って検索してみると、こういう言葉が出てくるんだよ。

多様性が求められる/多様性を受け入れる/多様性を認める

ひとつ思うんだよね。あなたは何もしなくていい、多様性について何もしないでいい。ただ、ほっとけばいい。と。


多様性ってもうそこにある。

そう、あなたが知らないだけで。あなたの周りにいる人は、日本語以外の言葉を話すし、セクシュアリティも違うし、年齢も、言語能力も、欲しい子どもの数も、お金に対しての考え方も、足の本数だって、違う。

この世界はあなたが認めようが受け入れようが求めようが拒否しようが、すでに多様な命であふれているんだよ。

だから、あなたがするべきことは一つだけ。ほっとくこと、以上だ。


あなたは、既得権を持っている人間です。

画像1

そもそもさ、他人の生き方や能力、言葉や成り立ちに対して「認める」という言葉がつくっていうのはどういうことか。

そこには、圧倒的な不均衡がある。マイノリティやマジョリティみたいな数の話じゃない。既得権の話だ。振りかざせる”権利”の強さが、まったくもってイコールじゃないんだ。言ってる意味がわからないなら、あなたは既得権益で生きている。

私たちは、平等じゃない。だから、認めるという「上の者の恩赦」的なニュアンスが出てくるんだよ。まずそれを認めよう、あなたは、持っている人だ。私もそうだ。

これは日本ヘイトだ!!と日本国内で訴える日本人がいるけど、日本という国の中で日本人であるということはとんでもなく強い”権利”だ。その不均衡をまずは知ろう。
女尊男卑だ!そうやって訴える男性もいる。実はね、この世界中で男性であるということはとんでもなく強い”権利”なんだよ。もちろん、その権利を享受しているのはほんの一部なんだけど。それでもあなたは権利を持っていることに変わりない。自分の足場を見てよ。そんな高いところから物を投げたらいけない、どんなに小さなものでも、下にいる人はケガをするよ。下手したら死ぬ。


あなたが認めなくても、許さなくても、すでにそこに多様な世界は広がっている。けど、あなたはそれを簡単につぶすことが出来る。「こちらに来たいなら、我々と同じになれ」と言って。その権利は非常においしくて、楽で、魅惑的だ。とりあえずそれを認めてくれ。捨てろとまでは、言わないから。


あなたはあなただ。

あなたは何でもできる。ただ、しなくていいことがあるだけ。

あなたは私の生き方を操作しないでいいし
あなたは私の外見の優劣を決めて言葉に出さないでいいし
あなたは私の生殖について決定しないでいいし
あなたは私の苗字が変わらないことによって、私の家族が受ける影響を心配しないでいいし
あなたは私の恋愛対象を詮索しないでいいし
あなたは私の生きる価値を決めなくていい。

あなたは、あなたであることをすればいいだけ。私もそうする。そうやって、安心して生きていこうよ。大丈夫、あの人があの人として生きることは、あなたがあなたとして生きることを否定しないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?