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今度は違うジェットコースター

最近の私

相変わらず自営の夫は、九月下旬あたりがほぼほぼ家にいる。。。。

親のこと
介護申請結果
 母、要支援2
  父、要介護1

今は私が父母の国の国王になったかのごとく?君臨している

 それは、私以上に両親が長いコロナ禍をギスギスして
親戚家族三年間もお正月さえ集まらないといった生活をしてきたことに因果関係があるのではないかと、思う

特に母は、趣味の三味線から遠ざかり、父との二人暮らし

あんなに毎日温泉にも行ってて「私は温泉にいってるから元気」の母もコロナが出てきてから、全く近くにたくさん温泉もあるのに行かなくなった

 しがなく整骨院に父を連れて行く間、母を一人にしてあげたり、母の通院にもなるべく付き合ったり、アドバイスを求められるLINEや電話も来るので
いつしか私は父がいうに「発明家」

 「国王」とまではまだないんだ( 一一)

 それでも何かあるのと「〇〇子に聞け」が二人の合言葉

〇〇子とは、私の本名だ。

 今日は父から
「近くのスーパーに行ったのに帰ってこない」
↑ 知らんがな・・と思いつつ、時計を見ると正午を二十分回ってる

正午ピッタリにご飯ができる母だ。

 でも、数秒後に「あ、帰ってきた」と父。

 今朝は三か月おきの私の整形外科終わりの息抜き中のスーパーの

花の苗を見てたら電話。

 それは母からだ。

「木曜日、リハビリ通所の見学は、曜日はずらせないの?

大好きな友達に電話してみたら、いつの頃が無視する人がいて

その人もそこに通所するのが木曜日らしいから、行きたくない」


 いろんな段取りを私は日々している。

それでも、こうしていつも誰かと誰かが小さな田舎街では、つながっていて、知らなくてもいい情報も簡単に耳に入れることができるのだ。

 大きな白波が私がせっかく汗をかきかき、睡眠もできないくらいにストレスもかけながら作った砂の城をザバッーと無情にも跡かたなく、さらっていき、壊していき、何もなくしてしまうのだ。

 だからこんな田舎は嫌いだった。
こんなところになんで転校させられたんだ。
 46年前からここが嫌いだった。

 それでも、また時間をおくと母からLINEも来た

「やっぱり見に行こうかな。私は何も悪いことはしてないもん」

 今は先週新たなかかりつけ医を紹介状をもっていったところで
「認知症だから精神科にいって」と言われたことが悔しい母だ。

 負けたくない。
悔しい。
 リハビリ通所して楽しんで見返してやりたい。

 そんな気持ちもLINEの文字には、書かれていた


 私の運命も貴女の日々のその感情や行動、勇気によって左右されるのよ。

  それに私だって、母よりもたくさんのメールや検索をしたり、いろんなことに頼りながら、誰にも平等な一日二十四時間をなんとか生きている。

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