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めざめた僕は夢のつじつまを合わせる

子供の頃の最も古い記憶は、夢の記憶だ。
たぶん、3歳くらいだったと思う。
母と、祖母と、僕は、家のそばのあぜ道を、農作業用の軽トラで走っていた。

突然、車のスピードがあがる。
せつな、母と祖母はドアを明け、車から飛び降りる。

ひとり残された僕はパニックとなり、ハンドルやシフトレバーをガチャガチャさせながら、必死で車を止めようとする。
けれど、車は一向に止まる気配はなく、グングングングン加速する。

そして、竹藪にぶつかる瞬間、僕は目が覚める。

何度見たか解らない、その悪夢に、3歳の僕はなんとか辻褄をつけた。
きっと、夢のなかの僕は18歳。もう車の免許を持っていた。
だから最後は、車を安全確実に、停車させて助かったと。

十数年後、結局、車の免許を取らなかった僕は、その理論が破綻していることに気付くのだけれども。

思えばあの頃から、悪夢、そして悪夢とは行かないまでも、いかんともしがたい、ままならない、中途半端な夢に、無理やりの整合性をつけて、心を落ち着かせるクセがついた気がする。

そして今も、ままならない、中途半端な人生に、無理やり整合性をつけて、心を落ち着かせて生きている。


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