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役病12 パンデミック後の未来

  動物由来感染症によるパンデミックは地球生態系が許すレベルまで地球人口が減少しない限り、続いていくことになるでしょう。そして人口減少を待つ前に、人類はそのあり方を変えていくことになるでしょう。

 

 パンデミックの原因は、気温の上昇によって熱帯に生息していた動物の生息域が広がり、さらに森林開発によって、それらとの接触の機会が増えたことによります。

 

 これらの原因を解消するためには、炭素の排出量を抑えるとともに熱帯雨林の開発を止めなければなりません。これらの開発は主に農業生産のためです。熱帯で生産された農産物を他の地域に輸出することを止めて、現地住民にのみ提供するようにすれば、森林開発は止みます。

 

 また、全世界的な農地の拡大は水の不足をもたらしており、いずれ食料生産量は減少に転じ、不足すると考えられています。さらに、地球全体で分業体制を構築しているとパンデミック下では必要なモノが手に入らなくなるリスクがあるので、食料だけでなく、地域で出来るだけ多くのものを自給自足するようになり、世界的にモノの移動が著しく減少していくでしょう。

 

 つまり一国単位ではなく、地域で必要な食料その他のモノは地域で調達して、地産地消するようになるでしょう。数百年前は世界のほとんどの地域で、そのようにやっていたはずです。そうすることによって、輸送から生じる炭素および輸送に必要となるエネルギーを削減することも出来ます。

 

 いま先進国は、どれだけ経済的価値を生み出すかという指標を重視していますが、これからは、どれだけ自給自足できているかという指標に取って代わられるのではないでしょうか。

 

 たとえば、電力供給が電力需要に追い付かないのであれば、通電時間を限定するといったように、もし、需要に対して供給が追い付かないのであれば、自給率を上げるために需要を抑え、我慢してもらってでも自給率を上げようとするのではないでしょうか。

 

 したがって、資源を節約するために生産を抑制し、生きていくために必ずしも必要とはしないものに、資源を投入しなくなるのではないでしょうか。現在、中国は生産活動が過熱して、エネルギー供給が不足する事態となり、中国政府は社会的な有用性から企業を選別して、エネルギー需要を抑えようとしています。

 

 現在のパンデミック下で傾いている産業は間違いなく消えていくことでしょう。これらの産業は生きていくために必ずしも必要ではないということがよく分かったはずです。

 

 スポーツやダンス、音楽のように身体を使って手取り足取り習うものは先がありません。これらを実践するアマチュアの方々の中からプロが生れるだけでなく、これらの方々が熱心な支持者として業界を支えてくれます。しかし、パンデミック下では実践が著しく困難となり、これらの基盤となる層が削り取られていくことになります。ドーム球場やコンサートホール等は本来の用途としては無用の長物となり、野菜や昆虫のような食料を生産するための工場に転用されるのではないでしょうか。

 

 金勘定さえ合えば欲望にまかせて、いくらでも生産していくのではなく、必要なモノを必要なだけ生産し、無駄を省いていくという縮小均衡経済へと移行し、資本主義は終わりを迎えるでしょう。 

 

 縮小均衡経済に移行するとどうなるか。

 

 生きていくためには必ずしも必要とはしない贅沢品や娯楽の生産・消費が縮小していくので、生産及び余暇の活動が縮小し、自由時間が増えます。仕事や余暇に煩わされない自由な解放された時間を持ち、精神的な余裕が生まれてきます。

 

 私の知り合いで、月曜から金曜までオフィスで働き、ほぼ毎週、金曜の夜から日曜の夜または月曜の早朝まで遠くへ出かけていた方がいます。こんなことをしていると心身を休める間もなく、常に何ものかに急き立てられ、精神的な余裕がありません。物質的に恵まれているというよりは、外界に振り回されています。睡眠、食事、入浴その他日常生活の取るに足らない些事であっても、手っ取り早く済ますのではなく、自分の納得がいく十分な時間をかけてじっくりと取り組めたほうが人生のクオリティは上がるのではないでしょうか。

 

 さらに、パンデミック下ではウィルスの拡散を防止するために、ヒトの移動を抑制し、ヒトとヒトが距離をとってヒト社会のあり方を見直すだけでなく、ヒトと他の動物の関係も見直すことになるのではないでしょうか。 

 

 IT技術の発達によって、遠方に出かけることなく、また、実際に対面でコミュニケーションをとらなくても、十分事足りるようになっています。しかしそれでも、実際に対面でのコミュニケーションを求めようとするのは、デジタル的な情報ではなく、アナログ的な感情のやり取りを求めているからです。多勢に無勢、一人よりも二人、二人よりも大勢と繋がっているほうが他人によって守られているという安心感があります。動物園の猿山のサルが集団で群れているのと何ら変わりありません。ヒトも生存への不安を常に抱えているのでしょう。

 

 しかし、それらは強制的に遮断され、親から子が独立するように、ヒトは集団から離れて個として独立せざるを得なくなります。そうして生存への不安は鎮められ、理性によって生きていくようになるのではないでしょうか。

 

 また、パンデミックは動物由来の感染症によってもたらされているので、家畜やペットが感染源に成りうるリスクを考慮すると、畜産業を続け、そして、ペットを飼い続けるのも難しくなってくるのではないでしょうか。

 

 ヒトはヒトとの繋がりだけでなく、動物との繋がりも断ち切って、孤独の中で生きていくことになるでしょう。逆に考えると、孤独に耐えられる、孤独を何とも思わない非社交的なヒトが生き残るとも考えられます。

 

 それだけでなく、非活動的で外の世界へ刺激を求めず、抑制的で自制心があって感染リスクを避けることができる方々によって、残りの人類の寿命は全うされることになるのではないでしょうか。

 

 抑制的、非社交的、非活動的というのは、より良く生きていこうとする新脳:大脳新皮質が、どんなことをしてでも生きていこうとする旧脳:大脳辺縁系の盲目的な生存本能を抑え込んでいるからで、パンデミックは進化を加速し、人類は消滅の安定軌道に乗るのではないでしょうか。

 

 ヒトが老い、死を自覚すると、活動を縮小させていくように、誕生から20万年経過した人類は老年期に入り、自らの衰退と消滅を意識し始め、その活動は縮小していくことになるでしょう。そして、緩やかに社会的な繋がりは解かれ、他人からの干渉を受けずに自らの内面を見つめ、個々人が満足のいく終わりを迎えることを意識して、消滅に向かっていくことになるでしょう。

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