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杉山久子の俳句を読む 23年02月号①

氷海に果てあり髪をたばねけり

(句集『春の柩』所収)

 歳時記に掲載されている季語は日本の風土に根ざしたものであるが、例外がいくつかある。「氷海」もその一つ。厳冬期の北海道の気温でも、波の立つ海が凍りつくことはない。氷海は、氷山や氷塊が浮かんでいる海も意味するようだが、掲句では見渡す限り一面純白に凍りついた氷海であろう。とはいえ、作者が砕氷船に乗って北極海まで辿り着いたわけではあるまい。
 台風や津波、煮え滾り爆発するマグマのような動的なものだけが、地球のエネルギーではない。氷海のように静止する冷たい世界もまた、莫大なエネルギーを秘めている。氷海の果てとはどんな場所か。氷の大地に亀裂が生じ、崩壊する場所だろう。その力が遠く作者の元まで微かな波動となって届いているのが、「あり」「けり」の二つの強い切れの響き合いに感じられるようである。
 女性が冬に髪を束ねるならば、朝の化粧台での身支度かもしれないし、仕事や家事を始める前の準備かもしれない。あるいは単に気分転換か。だが、掲句の「けり」には何か決意めいたものが感じられはしないか。
 もし氷海の果てで起こるできごとが、一人の人間の意思に作用するとしたら面白い。ある気象学者はこんな問いをしている。一頭の蝶の羽ばたきが遥かに離れた場所に竜巻を起こし得るだろうか、と。いわゆるバタフライ・エフェクトだ。掲句では、この逆転現象が起きているのかもしれない。

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