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杉山久子の俳句を読む 23年08月号

香水や仏蘭西フランス映画わかるふり

(句集『泉』所収)

 句の中の香水をつけているのが作者なのか、他の人なのかで読みが分かれる句だ。
 他の人の香水の場合、たとえば偶然フランス映画の話をする人たちの中に混ざってしまい、人がつけている香水の香りに気持ちがふわふわして、「わかるふり」をしてごまかしたと読める。
 作者が香水をつけているなら、普段は見ないフランス映画を一人で見てみたところ全く理解できず、誰にともなく分かるふりをしてみた、と読んだ方が面白い。いずれにせよ愛すべき作者である。
 掲句に対する共感、『そうそう、なんとなく格好付けてしまうときってあるよね』という浅いものではないだろう。たとえ、外国の映画に字幕や吹き替えがあり、言葉としては分かっても、馴染みのない文化や風俗をそう簡単に理解できるものではない。でも、理解できたなら人生はもっと豊かになるかもしれない……そう多くの人がなんとなく思って生きているからこそ、この句に親しみがもてるのではないか。
 技巧にも注目したい。もしクラシック音楽の話題なら、巨匠の名前くらいは誰でも知っているので、つい分かるふりをしてしまうかもしれないが、フランス映画では、なかなか出てこない。分かるふりができそうで、できないぎりぎりのラインだ。
 このおかしみの源泉は、フランス映画が分かる人よりも、フランス映画が分からないのに分かるふりをする人の方がよっぽど少ない、という奇妙な現実から生じるものだろう。本来なら『別に分かるふりしなくても』という真っ当な疑問が、上五の季語の力で知らぬ間に解消されているという構造だ。しかし、打ち消しあってプラスマイナスゼロにはならないのが俳句である。常に掛け算、ときに乗算となる。
 また、「香水」と「仏蘭西映画」は比較的言葉の距離が近いが、このような取り合わせ方で双方が生きることに驚かされる。勿論、表記が「フランス映画」ではなく「仏蘭西映画」なのもわかるふりの内であろう。けだし、杉山久子ワールドと言えまいか。


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