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杉山久子の俳句を読む

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俳人の杉山久子さんの俳句を不定期に一句ずつ鑑賞します。 【プロフィール】 山口市在住。「藍生」「いつき組」所属。山口新聞俳壇 選者。俳句甲子園地区予選審査員。 1997年 第三… もっと読む
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記事一覧

杉山久子の俳句を読む 23年08月号

香水や仏蘭西映画わかるふり(句集『泉』所収)  句の中の香水をつけているのが作者なのか、他の人なのかで読みが分かれる句だ。  他の人の香水の場合、たとえば偶然フランス映画の話をする人たちの中に混ざってしまい、人がつけている香水の香りに気持ちがふわふわして、「わかるふり」をしてごまかしたと読める。  作者が香水をつけているなら、普段は見ないフランス映画を一人で見てみたところ全く理解できず、誰にともなく分かるふりをしてみた、と読んだ方が面白い。いずれにせよ愛すべき作者である。

杉山久子の俳句を読む 23年07月号

人の恋かたしろぐさのつめたさに(句集『鳥と歩く』所収)  「人の恋」という、突き放した言葉が目に飛び込んでくる。友の恋でも肉親の恋でもない。「他人の恋」という意味だろう。しかし、つづく中七下五の平仮名はやさしい。さほど親しくはない誰かの恋愛に思うところがあって、作者にできることはないのかもしれない。  「片白草」という植物の季語は「半夏生(はんげしょう)」の傍題であるが、葉が半分白くなるために半化粧と掛けた名前でもあるから、恋する人は女性のように思える。ドクダミ科なので十薬

杉山久子の俳句を読む 23年06月号②

珈琲におぼるゝ蟻の光かな(句集『泉』所収)  蟻はさまざまな俳句で溺れてきた。まず、これまで詠まれてきた溺れっぷりをいくつか見ていきたい。 ほとけの水に溺るゝ蟻を出してやりぬ 林原耒井  おそらく墓石の手前にある窪みの水受けに溜まった水だろう。他の水ならば救わなかったのかもしれないが、正に仏心か。 閼伽桶に溺るゝ蟻を吾れ見たり 森田峠  「閼伽桶」は仏に供える水の器である。殺生を禁じる仏教の観念から見ると、仏のために蟻が溺れているような矛盾を錯覚する。 打水や溺るる蟻

杉山久子の俳句を読む 23年06月号①

深き深き森を抜けきて黒ビール(句集『泉』所収)  ビールの歴史は長い。紀元前数千年前、農耕の始まった頃よりビールは人類の文明と共にあった。いま人類と書いたが、主にはメソポタミアやエジプトであり、この地域は降水量が少ないため森林はない。掲句の森が単なる心象風景ではないとしたら、中世から近代にかけて消失した、ヨーロッパの広大な森を想起させる。そうだとしたら、ヨーロッパの歴史について語ることが、そのまま句の世界を語ることに繋がるだろう。  かつて「深き深き森」には妖精が住まい、多

杉山久子の俳句を読む 23年05月号

日輪や切れてはげしき蜥蜴の尾(句集『泉』所収)  上五に打ち込まれた掲句の切れ字「や」の効果はすこし複雑である。蜥蜴の尾を昼の光にさらけ出すために上五で背景を作るならば、「太陽や」「白日や」とできるところ、あえて二次元的な「日輪や」が選ばれているからだ。  「や」の性質上、主格として「日輪が切れて」とも読める。蜥蜴の尾が切れるのは生物の営みにおける自然現象だが、日輪が切れるなら超常現象である。太陽が外縁で盛んに波立つように見える、いわゆるプロミネンス(紅炎)の映像を凝視すれ

杉山久子の俳句を読む 23年04月号

彗星のちかづいてくるヒヤシンス(句集『鳥と歩く』所収)  彗星は大きな離心率をもち、太陽に従順な惑星たちを横切って放埒な楕円、あるいは放物線を描く。我々の太陽系を一度しか過ぎらないものもあり、何十年、何百年の周期で幾度も訪れるものもある。掲句は後者だろう。近づくという言葉を使うのだから、作者は彗星の訪れを予期しているはずだ。喜んでいるのか、もしくは恐れているのか。  彗星とヒヤシンスの球根は、姿もどこか類似しており、いずれも時間をかけて美しさを顕わにする期待感がある。彗星は

杉山久子の俳句を読む 23年03月号

ラブホテルある日土筆にかこまるゝ(句集『泉』所収)  春も深まって、気がつけば土筆に包囲されているラブホテル。なんら実害はない。誰も気にしていないし、気づかない。俳人以外は。  人の男女の仲が進展していく上で、ラブホテルという場所には年中多くの「ある日」が持ち込まれているのだろう。何も恥ずかしいことはない。土筆は土筆で、タケノコやサツマイモなどと同じく地下茎を水平に張り巡らし、ときがくればそれぞれの場所から地面を破って現れ、胞子を播く。しかし土筆の場合は春という季節に限られ

杉山久子の俳句を読む 23年02月号③

きさらぎの猫の眼浅葱萌黄色(句集『猫の句も借りたい』所収)  句の後半にきて、猫に詳しい俳人たちはおや、と思う。 「猫の眼浅葱萌黄色(あさぎもえぎいろ)」とは、左右の目の色が異なるいわゆるオッドアイだが、和語でも「金目銀目(きんめぎんめ)」という言葉があるのだから、12音から6音に節約できるのではないかと。そうすれば、もっと多くのことが言える。  しかし猫の虹彩には青、緑、黄、橙など様々な色合いがあり、オッドアイの組み合わせにも幅がある。「浅葱」「萌黄」と書くことで、掲句は

杉山久子の俳句を読む 23年02月号②

鳥雲に帽子ケースの中真青(『俳句新空間 BLOG俳句空間媒体誌 No.17』所収)  「鳥雲に」は仲春の季語「鳥雲に入る」の傍題である。この季語が一句の上五にあれば、避寒の地に別れを告げ、子を産み育てるため、遥か北方の故郷をめざして真っ白な雲に吸い込まれる鳥の群れが、読者の心の空に現れる。大きな景である。私たちが北の地における彼らのこまやかな営みを見ることはない。私たちが空の高きに見るのは、いつも旅立ちだけである。  帽子の収納場所は様々だ。帽子専用のハンガーに掛けっぱなし

杉山久子の俳句を読む 23年02月号①

氷海に果てあり髪をたばねけり(句集『春の柩』所収)  歳時記に掲載されている季語は日本の風土に根ざしたものであるが、例外がいくつかある。「氷海」もその一つ。厳冬期の北海道の気温でも、波の立つ海が凍りつくことはない。氷海は、氷山や氷塊が浮かんでいる海も意味するようだが、掲句では見渡す限り一面純白に凍りついた氷海であろう。とはいえ、作者が砕氷船に乗って北極海まで辿り着いたわけではあるまい。  台風や津波、煮え滾り爆発するマグマのような動的なものだけが、地球のエネルギーではない。

杉山久子の俳句を読む 23年01月号

太箸をとればゆるりと猫のきて(句集『猫の句も借りたい』所収)  季語が新年の「太箸」であるから、作者が食べようとしているのはきっとお節だろう。人間の食べ物で猫が食べることができるものは意外と少ないが、極端な味付けのないものなら、かまぼこなり海老の剥き身なり、重箱の中にご馳走がある。  猫は高いところが好きだが、室内を移動するには床を歩かなければならないから、脚の長いテーブルの上は勿論、座卓の上の料理を確認するのも難しいものだ。しかし、彼ら彼女らは重箱を開いた瞬間に、その音