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杉山久子の俳句を読む 23年05月号

日輪や切れてはげしき蜥蜴の尾

(句集『泉』所収)

 上五に打ち込まれた掲句の切れ字「や」の効果はすこし複雑である。蜥蜴の尾を昼の光にさらけ出すために上五で背景を作るならば、「太陽や」「白日や」とできるところ、あえて二次元的な「日輪や」が選ばれているからだ。
 「や」の性質上、主格として「日輪が切れて」とも読める。蜥蜴の尾が切れるのは生物の営みにおける自然現象だが、日輪が切れるなら超常現象である。太陽が外縁で盛んに波立つように見える、いわゆるプロミネンス(紅炎)の映像を凝視すれば、輪が今にも引きちぎれそうではないか。まるでSFのスケールだ。
 二つのイメージが被さることで、掲句は蜥蜴の尾が切れる自切の現場を見たことのない読者に対し、切れた後もそんなに動くものなのかと関心を引き寄せる一方、自切を見たことがある読者にはまったく新しい景色を見せてくれる。
 自切した蜥蜴の尾が動くのは、敵に注目され、本体が逃げる隙を作らなければならないからである。昆虫のガガンボの脚も取れやすいが、決して残された脚が独りでに飛び跳ねたりしないのは、蜥蜴とガガンボにおける、天敵たる捕食者の性質の違いだろう。
 では日輪が自ずから切れるとき、一体何から逃れるのだろうか。


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