18℃ー努力の話

今日こそ早寝するつもりで日本酒をキメたのに全然眠くならないから書きます。

僕は努力家だと思う。はっきり言って。
自分の強みはなんですか?と聞かれたらまず真っ先に思いつくくらいにはそうだ。幼い頃から、少なくとも自分の中では人一倍頑張る方だった。また、ありがたいことに周囲の人々からも概ねそのような評価を貰っている気がする。まあ、そんなわけで自他共に認める努力家ということでいいだろう。あまりに傲慢だけど。

では、努力家の利点はなんだろうか。努力すること、そしてその結果何らかの成果を得ることだろうか。事実、私は努力をすることでこの人生を好転させてきたという自負があるが、それは大なり小なり「努力でねじ伏せられるもの」を倒すことによって成し遂げられたものであると思う。勿論周りの助けの上ではあるのだが、それに加えて自分が注いできた努力が、今の私のうちの相当なパーセンテージを形成していると言っていいだろう。
他方、努力家の弱点はなんだろうか。私の知る限り、一般に努力はすればするほど良いとされているし、実際あまりそういうことを考える人はいないかもしれない。しかし、当事者の1人として言わせてもらうと、努力することは、実はいいことばかりではないのでは?と感じる。
ということで、本題に入ろう。
(以下、私の主観が多く入るため、任意の「努力家」に対して当てはまるとは決して限らない内容になっています。真に受けずエンタメ程度にお読みください。)

努力家の弱点

1. 努力に頼りすぎ

努力によって数々の難所を潜り抜けてきた努力家にとって、努力は最大の武器になる。誰かが努力をしているのを見て怒る人というのはそういないだろう。
しかし、そんな強力武器である「努力」だが、実は決定的な問題点がある。それは、日常に降り注ぐ試練に対して、それらを何でもかんでも努力で解決しようと考えてしまうことである。困ったことがあればなんでも自分が手と足を動かして解決してしまえばいい、という脳筋的発想は確かにある意味では正しいし、ある問題に対して取るべきアプローチがわからない、というタイミングでは、とにかくやってみるっきゃない!ということでそのような行動に出るのも悪くないかもしれない。
しかし、いつもどんなときでも、まずガンガンやってから…という考え方は、正直、問題に対するアプローチへの発想を貧困にさせてしまうと思う。もっと効率的な方法がないかと考え抜いたり、あるいはまだ気づいていない自分のセンスはないかと探したり、そういうことをつい忘れてしまい、画一的な手法しか見つけられなくなるからだ。また、努力以外に自分の個性 (拠り所) を見つけられず、努力をすること以外に自分に自信がなくなってくる点でも非常に不健全である。努力することは努力家唯一のプライドなのだ。努力で身を立ててきたからこそ、才能(だけ)のやつに負けたくない、それを努力量でねじ伏せようとする。一度そうなってしまうと、努力を止めるのが怖くなる。自分には努力しか残っていないからと信じきっているからだ。
努力もできない人よりはいいじゃん、とフォローしてもらえることも多いが果たして本当にそうだろうか。努力を続けるには強い気持ちと体力が必要である。仮にどちらかだけでもそれらを病むようなことがあれば、途端に努力家の人生は破綻する。努力以外の方法もストックしておかないとあまりにも危険だろう。

2. 努力のもとに生まれた仮説しか信じられない

正直、これは1.に近いものがあると思うが、一応分けて書く。
努力家は努力というもののパワーを信じることで、日々努力をして頑張っている。それゆえ、努力に基づかない考え方の上に聳える仮説・方法には懐疑的になる傾向がある。もちろん、それはごもっともという感じではあるが、残念ながら世の中には努力解決できない (あるいは解決すべきでない) ような状況設定もたくさん存在するため、そんなことばかりは言っていられない。
たとえば平たく言えばセンス、あるいは直感で行動すべきタイミングなどがそうである。こういう場面で、いちいちどうやって自分を最大限発揮するべきか、と努力ベースで考え込むことは率直に言って無駄である。無駄、というかむしろ悪影響と言っても過言ではない。「考えるな、感じろ。」とはよく言ったもので、そういう場面は主に対人関係を中心にしばしば訪れるのだが、努力家は、どうやったら考えなしに自然と感じられるのかな、と「考えてしまう」ような節がある。そうやって思っている時点で不自然なのに、と気づいた時には時すでに遅し。止まらない思考サイクルから自然なアプローチを導き出すことは不可能なのではないか、と思えるほどに努力以外の方法に疎い。考える前にふっと湧いて出た「答え」に自信が持てないのは、人生での成功体験が大凡努力のもとに展開されているからだろうか。

私は努力家だ。ここまで色々言ったが、結局本音ではそうやって胸を張って生きていきたい。努力していく生き方は、私の人生そのものだからだ。
でもそれと同時に多くの問題を抱えているし、正直努力一本で頑張る今のスタイルを解決していかなくては成長は頭打ちであることも勘付いている。
数学、合唱、料理、、、これらは不器用な自分の中でも比較的努力である程度 (人並み) までは育った奴らである。それでも、わざわざ自慢するほどではないし、群抜いて何かできるわけではない。これを書きながら「ああ、まだまだ努力不足なのだな」と思ってしまった私はきっとバカである。
、、、そこに達するにはきっと、努力ベースのみの思考からの脱却、パラダイム・シフトが必要なのであろう。努力に代わる何か、自らを滾らせまだ見ぬ到達点へ向かわせるような何かが、、、

ハイ無事朝5時になりました。今日は早起きしてゼミの課題やる予定だったのにこのザマです。対戦ありがとうございました。そしてここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。


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