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東京が江戸だった頃から人が住んでいた場所が好き #日本橋

中央区内の住所に日本橋と名がつく範囲は思った以上に広い。北は千代田区岩本町と接する日本橋小伝馬町や台東区浅草橋と神田川を隔てる日本橋馬喰町から 南は日本橋茅場町・京橋との境の日本橋まで。

もちろん古くから中心地であり 今でも大変栄えている。日本橋の橋に書かれている橋の名は15代将軍慶喜公の揮毫だ。大河ドラマで、澁澤栄一が深谷でつくった藍玉を江戸時代末期の日本橋まで売りにくるシーンがあったが、昭和通り沿いに紺屋町と言う交差点が残っており、この辺りで若い澁澤が目を輝かせて歩いていたのかと歴史を身近に感じた。魚河岸もあり物流の中心で、江戸時代の初めから人が集まる繁華街であることに間違いはない。そしてその繁栄は今も続いている。

他にも千葉定吉道場の跡や蔦屋重三郎の書肆・耕書堂跡、小伝馬町牢屋敷跡などその土地の歴史を知らせる立て札がたっていて、歩いていても面白い。歌麿や写楽がそぞろ歩いていたのだろうか、龍馬が友人と闊歩していたのだろうか。オフィスビルの脇道で一瞬のうちにタイムスリップできる。

中央通りや昭和通り沿いには商業施設が立ち並び、日本を代表するような大きな会社やおみせばかりだ。昭和通りを越えて隅田川に囲まれた地域は人形町や浜町を中心に人が多く集まる場所だが 同時に昔からある小さいけれど歴史ある商店や中小規模の会社があちこちに存続している。創業は江戸時代という商店は扇子や毛抜きといった有名店のみならず、呉服や食品など多岐にわたる。そしてその間を埋めるように中小規模のマンションがたくさんある。丸の内や大手町のオフィス街に近く職住接近で通勤時間が節約できるかわりに地価が高いので、共稼ぎのパワーカップルとよばれる層が、夫婦二人もしくは小さな子供と暮らしている例も多そうだ。と言うのも保育園がやたら多い。

日本橋の良さはそういった古くからある地元の商店や会社がその土地に愛着をもち大切にしていることがよく分かる点だ。御神輿やお祭りなど町内会できちんと催す。人手がなければできないこういう行事も、会社や商店が知らんぷりせずちゃんと人手を出す。知らないうちに ただ住んでいるだけの新らしい住人も巻き込まれて参加するようになる。そして土地に愛着を感じていく。このサイクルが残っているのは 古くから土地に愛着を持って商売したり住んていたりする人たちが力惜しみをせずに守っていこうという意思があるからだ。相撲部屋があり、大きくて緑豊かな公園があり、おしゃれなホテルがあり、流行に先駆けてこだわる専門店あり。古いものと新しいものがモザイクのように散りばめられて日本橋という土地の中で魅力的な絵を描いているようだ。こういう土地はやはりすごい。土地の記憶が途切れず続き、開発がすすんで街の形が変わってもこの日本橋という土地は長く残っていくのだろうなと思う。




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