世界の近さ
もう9月だなんて、信じられない。
2020年3分の2が終わったなんて。
時間の感覚がなくなっちゃったみたい、なんてクレイジーな年なんだろうね。
夏の終わりとともに、あちこちにいる友だちと、そんな言葉をかわし合った。
これまでの生活が一変して、これからどうなるのかもわからないことばかりで。そんな状況が世界規模で起こっているって、ほんとうに、なんて年だろう!と、思いながら、同時に、世界中が同じ時に同じ体験をしていることのものすごさには、驚きと、有難みみたいな気持ちすらわいてくる。
この数ヶ月の間、スーパーが混んでいるねとか、トイレットペーパーやお米やパンやパスタが棚からなくなっているとか、道に人が歩いていないとかいるとか、マスクをするとかしないとか、そんな日常の話を、日本だけじゃなく、ドイツや、台湾、ウクライナ、タイ、アメリカ、スペイン、コスタリカ…世界のいろいろなところにいる友だちとしてきた。
それは、これまで私が経験した、お互いの国での自然災害や事件のニュースを聞いて心配したりされたりするやりとりとは全然ちがっていた。
私たちは、「大変なことが起きている場所にいる人」と「大変なことが起きている友だちを心配している人」としてではなく、海を越えた別々の場所で、一緒に、困ったり、悲しんだり、憤慨したり、希望を感じたりしていた。
そんなふうに感じたのは、はじめてだった。
不思議に、世界が小さく、近く感じられた。
実際には、飛行機が飛ばなかったり国境が閉じていたりで、ある意味、これほど世界が遠くなっている時期はないというのに。
もうすでにそうなってきているけれど、そのうち、また、それぞれの国でそれぞれの日常が確立されていって、飛行機もまた飛び始めて、世界はある程度「通常運転」にもどっていくのだと思う。
それでも、遠くにいる友だちと、だいぶ変わってしまった日常にびっくりしながら、寄り添う合うように過ごした日々のことは忘れないだろうし、あの時に感じた世界の近さ、みんな、ひとつの同じ場所で生きているという感じは、ずっと自分の中に持っていたいなと思う。
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