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もどってきます

 一昨年の夏くらいから、SNSをやめたり、アカウントを切り替えたりして、しばらく外とのつながりをだいぶ縮小していました。

 その時は、どうしてそんなに引っ込みたくなるのかはっきり言語化できていたわけではなかったのですが、いま思えば、「誰も見ていない時の自分のかたち」を思い出したかったのだと思います。

 つながることがすごく簡単になった時代、便利だし、人は好きだし…と、流れるままに好き放題につながり続けてきたら、いつの間にか自分を「見せている」場所がありすぎて、意識が外に向きすぎて、自分の輪郭がずいぶんとぼやけてしまっていました。

 吉本隆明さんの『ひきこもれ』という、ひとりの時間の大切さについて書かれた本が大好きなのですが、そのなかに、こんな一節があります。

他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらすような言葉。感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉――。ひきこもることによって、そんな言葉をもつことができるのではないか、という話です。

 しばらく引っ込むことで、私はこの「内臓の言葉」を取り戻したかったのだと思います。

 この二年くらいは、フリーランスで働いている私のような人間にはひとりで過ごすのにまさにぴったりの時世だったので、ほんとうにたくさんの時間をひとりで家に引きこもって過ごしました。
 
 毎日、自分とだけ顔を合わせて暮らして、自分はほんとうは何が好きなんだったっけ、どういう人間なんだったっけ、そんなことを少しずつ思い出していくことができた時間は、とてもぜいたくでありがたい時間でした。

 そして、「誰も見ていない時の自分のかたち」を思い出したら、今度はそのかたちを持ったまま、また外に出ていきたいなという気持ちがわいてきました。
 
 結局、私は人が好きなのだと思います。好きすぎてすぐに意識が外に向いてぶれてしまいがちだから、ひとりの時間はすごく必要で大切なのだけれど、それでもつながっていたいし、外に向けて手を伸ばしていたいのです。

 つながるための場所として、今のところ、私にとっては、noteが一番、自分のペースで書いていけるし、外に向けて書く言葉も自分の内で向き合って出した言葉も置いていきやすいプラットフォームだと思っています。

 そして、ひきこもりの一環で、noteもいったん別にひっそりアカウントをつくってそちらに書いたりしていたのですが(ここにもリンクは貼っていたので、見てくれた方もいるかも)、やっぱりまた、こちらに戻ってこようと思います。ここに書いてきた言葉は、その時の私なりの内側からの言葉だったから、それをわざわざ断ち切らなくてもいいか…と思ったからです。

 ひっそりアカウントに書いていた記事も再投稿しつつ、またマイペースに、この場所で書いていこうと思っています。


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