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Day.19 イヤなことに注ぐエネルギー

 おはようございます。午前中に書き始めるのはめずらしい。日曜日ならでなの時間の使い方。
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 わたしには、イヤなことは現実以上に大きく、うれしいことは豆粒みたいに感じてしまう傾向がある。最近イヤだったことは、ダラダラとした長い研修。そうとうイヤだった、それはもうこの仕事を辞めようと決心するぐらいにどんどんイヤさが増していく。

 もちろん、同じ日にうれしいこともあった。だけど、それを自分で大きくふくらますことができない。気がつけば、イヤなことの方がどんどん大きくなっていき、そのうれしいことはどんどん浸食されて、いつの間にかうれしいことが薄く薄くなってしまっている。

 子どものころから、不安傾向がとても強かった。あと妄想力も半端なかったので、イヤなこと、こわかったこと、不安なことに着目して、どんどん大きくなりがちだった。自分の妄想に押しつぶされそうになる。

 脳としては常に刺激を欲しているわけだから、「イヤなこと」のように、より強い刺激の方を求めるだろう。だから、わたしの中では、自動的にいやなことに注目して、その記憶が色濃く残り、さらにそこにどんどんエネルギーを与えて大きくしていく回路ができあがっていた。

 わたしはずっと平穏に憧れていた。だけど、決して平穏なままではいられなかった。平穏な日々を送ることに慣れていないし、そのような生活にはどこか居心地の悪さを感じてしまう。「このわたしがそんな生活を送っていいはずがない」という罪悪感ともつながっていた。

 うれしい、しあわせ、安心、そういったものを求めているのに、そういう生活から、わざと自分を遠ざけてきたのだと思う。わたしは、子どものころから「自分」というものから、意識をを切り離してすごす時間が長かったた。いまでも「自分」という感覚が薄い。だから、あえてネガティブな強い刺激を感じることで、「生きている」という感覚を感じていたと思う。

 そのような自分の傾向を自分で認識できたということは、これからはどちらか選ぶことができるということだ。いままでは自動的にイヤなことに注目して、無意識にエネルギーを与えて大きくしていた。それをこれからも続けていくのか、それともやめていくのかを選ぶことができるということだ。

今日もお読みいただきありがとうございました。明日につなげます。

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