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Day.11 お義母さん

 夫のお母さんが入院して手術した。もちろん、病室には入れてもらえず、手術室から出てきたときに、少しだけ会話を許され、元気な顔を見てホッとして家に帰ってきた。

 彼女は86歳になる。この人に会うといつも思うことは、天使のような人だなということ。とてもピュアな人だ。少女のような真っ直ぐさを失っていない。いつも一生懸命にわたしたち息子家族のことを一番に考えてくれる。

 夫の実家に遊びに行って帰るとき、お母さんは決まって駐車場まで送りに来てくれる。そのときに手を振りながら見せてくれる笑顔は特別だ。毎回毎回キラキラと輝いていて、思わず手を合わせたくなる神々しさだ。波動が高いとは、まさにこのことを言うのだなといつも思う。いっさいの混じりけのない純粋な笑顔。わたしが逆の立場だったら、あのとびきりの笑顔で孫たちを見送ることができるだろうか。

 お母さんは、現在一人暮らしである。だから息子家族が帰ったあとの静けさに、寂しさを感じるだろう。でも、駐車場で別れるときには、そんなことをわたしたちにいっさい感じさせない。それよりも遊びに来てくれた喜びや、いっしょに過ごした時間の楽しさが目からあふれ出ている。

 そんなお母さんの生い立ちは、小さいころから働きにでて、苦労したとうことは聞いている。だが、わたしたちの前で過去にあったたいへんさはいっさい出さず、いつも一生懸命に孫たちの大好物を作ることに生きがいを感じてくれている人だ。会ったときには、お母さんの親戚の話や、ご近所さんの話をする。そのときに少しはグチも出てくるが、他の人のことを悪くは言わない。

 わたしがまだ結婚についてなにも考えていなかったころ、漠然と嫁姑関係はとても恐ろしいものだと思い込んでいた。テレビや漫画の影響だ。だから自分がだれかと結婚したとして、夫になる人の母親とうまくコミュニケーションをとる自信は全くなかった。

 だが実際には違っていた。結婚前から、母親の価値観を押しつけられたり、なにかを求められたりすることはなかった。子どもが生まれてからも、子育てについて言及されることもいっさいなかった。とにかく、いつも体は大丈夫なのかとか、みんな元気に暮らしているのかを心配してくれていた。

 わたしたちがお母さんに会うのは、お正月、GW、お盆と長い休みのときだけだ。会う回数が限られているのは、わたしにとってちょうどよい。長い時間、ずっと一緒にいると、気を使い過ぎて疲れてしまったり、イヤなとこにばかり目がいってしまったりしそうだからだ。

 それから自分の親と、夫のお母さんが余りにも違うので、最初は戸惑って驚いた。そして、お母さんのマイペースぶりに話がなかなかかみ合わないことがあり、わたしがイライラしたこともあった。だけど、それがお母さんのペースなのだと理解してからは、そんなに気にもならなくなってきた。そして、わたしも気を張らずに済むようになったので、夫の実家に行ってもだいぶ楽に過ごせるようになってきた。

 いまは病院に行っても会うことができない。差し入れもお断りだ。だからせめて手紙を書いて届けようと思う。孫たちの写真を入れて。その手紙が、手術で受けた体や心のダメージの回復につながり、退院への励みになってくれたらと願う。

今日も読んでいただきありがとうございます。明日もがんばります。



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