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「知ってる」という事



「どうしてカナコさんは外人と話せるんですか」

真顔で聞いたのは以前取引のあった商社の人間だった

どうしてって、、、ねぇ?キミそんなこと聞く?


こちらにしてみたら「どうしてなんですか」って聞かれたら
反対に君の中での私はどんなものなんだい?と聞きたくなる
田舎のオバちゃんが外人さんと話せたらそらあかんのかいと


君の目の前にいる いかにも田舎のオバちゃん風の私だが
昔はキャビンアテンダントだったかもしんねえだろ!
いや、キャビンアテンダントなんてやったこともないけど

もしかしたら中東の大富豪の第4夫人だったんだけど
離婚して戻って来てるかもしんないじゃん!

もしかしたら駅前留学のエキスパートだったかもしんないやん


わかんねぇよ 人生なんか わかんねぇよ マジで!
人の人生などは誰にもわからない 所謂自称の世界じゃないか



苦虫を嚙み潰すような気持ちで
「ええ、まぁ」と答えるのが大体の常だ

海外で仕事をしていた時期があるんです
だからちょっとした会話程度ならできます
数ヶ国程度なら聞き取りとかは可能です

そう言ったなら 「すごいですねぇ」 と 

だからなんなんだ?

そりゃー海外で仕事してて言葉わかんなきゃ積むじゃん
何食わされるかわかんないような田舎に行かされて
こんな仕事してこいって言われたら死ぬじゃんよ

そもそも 国内にその仕事が少なくて
仕事の多い地方が海外だったってだけで
なんで「すごいですね」に繋がるんだかも意味わかんない

わしだって可能なら国内にいたかったさ!


いつもそうグッと飲み込んで口をへの字に曲げる

すると今度は「嘘つき」だとか
「信じられない」だの関係ない外野が言い出してきたりする

いいじゃん 嘘だったとしても 何の問題が

あれか ショーンMだったかKだったか
あの彼も凄い努力の人だった
思い込ませるための全力の勉強
彼がそうじゃないと知った時のほうが衝撃だった

そういう意味で言えば私はショーンにはなれない

興味のあることはどこまでも覚えるし
調べて勉強もするが

興味が無い事は一切覚えないし
勉強などもできない やろうと思っても覚えれない


「何でも知ってるんですね」
「なんでそんなに知ってるんですか」

その言葉も良く言われるし 
すごく侮蔑の表情をセットして聞かれる事も多い

年配の女性などには

「すぐに知ったかぶって」 「何の受け売りなの?」
「自分の知識じゃない事を言う人って人として最低よね」

そう言って散々謂れのない嫌がらせを受けてたりもした


いつも思う


そういう時の「知っている」ってどういう状況なんだろう?と

所謂媒体 紙とかネット媒体などで読んで「知っている」は
その人の「知っている」じゃないのかなとか
やはり体験したり研究したりして
「知っている」じゃないとダメなのかなとか
それだと社会の勉強と言われるものは殆どが
「知っていない」になるのだけど
それはどうなんでしょうね?

そんな質問をぶつけてしまって
またさらに嫌われて嫌がらせを受けまくったりもした


「だって、人間はそんなにものは読めないわ」

「なんでも読んでるって言うけど、そんなにお金続かないじゃない」

「時間も暇もないのよ」


至極ごもっとも 

でもその都合で言うならば私は「知っている」になるんだけどな・・・
そう言うとまた今度は暴力的な行為だとか嫌がらせが過激になる


ちょっとだけ自己弁護させて欲しいなぁと思えば
一層過激になるのはなんなのだろう


お前は愚鈍で無知な人間でいるべしと判を押される気分になる
そういう時はただひたすら悲しい



小さい頃 

本を読むのが好きだった
活字があれば何でも良かったが
如何せん、我が家は世間で言うところの貧困家庭だった
たまに母が近所の子供が読み捨てた本を貰ってきてくれたり
お魚屋の包み紙にされた新聞の広告欄などを何度も読んだ

姉が2名いたので彼女らが字を覚えた頃
私も覚えて読んでいた

まだNETも携帯もない時代 街には本屋もなく
大きな街に行かないと本屋はなかった
もっと色んなものを読みたかった

その頃は友達の家はもうとっくにカラーTVになっていたが
我が家はまだ白黒TVだった

父がボーナスを貰ってみんなに何が欲しいかと聞いた

母はカラーTV  私は百科事典だった

その頃の百科事典はとても高く 
父のボーナスの半分は吹き飛んだと思う

姉二人も百科事典がいいと言い 
我が家にはその冬 百科事典がやってきた

百科事典は本当に楽しかった

世界の位置 首都の場所 名前 通貨
建築物の構造 農業のなりたち 色々な動物
車の構造 世界の情勢 

ありとあらゆる知識が詰まっていた

暗記するほど読み込み
未だに何巻何ページに何が書いてあったか
そらんじる事が出来る

そのくらい事典の世界は楽しかった


小学校に入った姉達から
小学校には「図書館」という夢のような場所があると聞いた
そこにある本はどれでも読んでいいのだと聞いた

買わないのに読んでいい! 夢のようだ

いつも図書館は憧れの存在だった

私の入学の時に
私達はさらに山奥の小さな街へ引っ越すことなり
姉らも小学校を転校になった

私が入学したその小さな学校には
少しの本を収めた図書室しかなかった

それでも貴重な本だ

何度も何度も借りて 
小学校2年の頃にはもう読んでない本が無かった
いつも新しい本が入るのが楽しみだった
本だけが私のよりどころだった

読むのもどんどん早くなった

親の買い物について行った街で
本のコーナーで立ち読みするには
早く読まないとならないからだった

漫画などは一気に見てページを丸ごと記憶して
後からゆっくり思い出したりメモして反芻した
今でもちょっとした小説程度なら1時間もあれば読み切れる

そのうちに「これは好きだな」「これはイマイチだな」
そういう好みがわかるようになってきた

好きな本を読むスピードは速くほぼ正確に思い出せるが
あまり好きな本でないものは後から見返すと記憶違いも多かった

大人になって自分で働くようになって
月に3万~5万は雑誌などに費やしてたように思う
情報系の雑誌が多かったと思う
その頃ではその手の雑誌が一番情勢に早かった
そのうち業界の新聞などを取り寄せて読むようになった
就業していた職業のものではなく、専門誌と言われるものだった
切手や小為替を封筒に入れて送付すれば送り返してくれる時代だった

NETの時代になってから画面で文字を読むのがつらく
相変わらず紙媒体を買い 
自分の興味のある分野や有益な分野の本を買いあさって読んだ

子牛や猫の世話をするようになった際には
買い漁った獣医学の本がかなり役に立った
今住んでいる街は獣医の大学があるせいか
その手の古書が多く扱われていた
知り合った獣医さんらが
これを読んだらいいよと古い本をくれたりもした

飼っている動物に役に立つかもしれないと思って
人間の医学書も何冊も読んだりした
医者の知り合いも出来て専門的な話をしたりすることも出来た

おかげで子牛も猫もほぼ死なせる事なく
難なく過ごしてこれた

これも全部本のおかげだと思う

たぶん一生使わないだろう知識や
一生使わないだろう情報

それらを蓄えて 貪欲に生きていたい そう思った


この前近しい人がぼそっと言った
「あなたは努力の人だよね」と


胸を張って言いたい

白鳥が水面下で必死に水をかくように
私は必死に本を読んできたんだよ

もうそれは「知っている」扱いにしてもいいよね?

貴方が知らない時代の膨大な時間を
無駄な知識を貯め込むことだけに使ってきたのだもの

私には天賦の才は悲しいながら無いが
私があるのは努力のおかげで
本のおかげで「知っている事」に出会えていると

いつも本を読んでも情報を鵜呑みにするのではなく
各方面から考えていたりする
1つの事柄に疑問を持ったら数個の書籍を参照にしたりもする

そんな事をしたとしても私には1円のお金も入ってはこない

けれどその事だけが本当に楽しく
ああ、今日も有意義だなぁと思う時間なのだ


それでもまだ世界は広く

知らない知識は数多の星のごとく多い



願わくば次の世でも 

ああ、たくさんの本が読めますように



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