一生に一度のイベント
先日執り行われた成人式に、今年で二十歳になる僕は参列しなかった。
参列「できなかった」のではない。
参列「しなかった」のだ。
身内に不幸があって仕方なく……とか、会場までの大渋滞に巻き込まれてあえなく……とか、何らかしらのトラブルがあったわけでは決してなく、確固たる意志を持って、一生に一度の晴れ舞台に向かわなかった。
その理由はひとまず置いておくとして、成人式がいかに特殊なイベントかを考察してみよう。ここでは「晴れ舞台」と形容されるライフイベント ―例えば、学校の入学式や卒業式、結婚式なんかが該当するだろう― と比較しながら、その特殊性に迫ってみる。
成人式の特異点の1つは「イベントが発生する回数」にある。「一生に一度の晴れ舞台」とはよく言ったもので、成人式は人生で1回限りのイベントだ。成人をした年にしか(公式に)参加することはできない。対して、他のイベントは複数回経験することが可能である。もちろん「○○学校の入学式」「○○さんとの結婚式」と対象を限定した場合には「一生に一度の晴れ舞台」と言えなくもない。が、広く入学式や結婚式と捉えると、成人式との違いは明らかだろう。
ちょっと脇道にそれるが、僕が参加したものは厳密には「二十歳のつどい」という(ただし、ここでは成人式と呼ぶことにする)。成人年齢が18歳に引き下げられたことで、今回から名前が変わったらしい。ここで分かるのは、成人式が「年齢に起因するイベント」だということだ。二十歳や18歳といった特定の年齢でイベントが発生する。では、他のライフイベントの発生契機はどうだろうか。入学式であれば、学校入学に伴って起こり、結婚式は、結婚に際して行われるように、入学や結婚といった特定の行動に即して執り行われる。
ここまでみてきたように、成人式は数多ある人生のハイライトの中で、数少ない「たった一度」の「年齢を根拠に発生する」イベントなのだ。
そんな特別な成人式に僕が参列しなかったのは、つまるところ参加必須では無いからだ。学校の試験や入職時の面接とは違って、拒否したとて次のステージには進める。ゲームのスキップできるイベント、と言えば分かりやすだろうか。「参列しなければいけない」なんて法律はないし、個人の自由意志に委ねられている。
僕は、こういう大勢が集まってワイワイする会が元々苦手だ。しかも、途中で辞めた学校の同級生と会わないといけないと来たら、参列する気は全くといっていいほど起こらなかった。
とはいえ、私たちに共通のライフイベントである成人式は、おそらく参列する方が多数派だろう。自分の知り合いに限っていえば、8割くらいが参列していたようだ。この参列率は、もしかしたら先にみた特殊性がもたらしているのかもしれない。つまり、他のイベントとは性質が違う(一度きり・年齢を根拠に発生する)からこそ、魅力的に感じ、それが個人の参加動機につながり、あれだけ多くの人が会場に足を運ぶのではないかということだ。
僕自身は参列しなかったことを後悔していないし、「別に行きたい人が行けばいいんじゃない?」という自由なスタンスでいる。
一方で、一生に一度だからこそ行くべきだという考えも理解はできる。年齢に起因するものだから、成人を過ぎたら、絶対に参加することができないからだ。
まだ成人式を迎えていないみなさんは、このイベントの特殊性を踏まえた上で、参加・不参加を吟味してみることをオススメする。