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宝塚観劇記 宙組 『NEVER SAY GOODBYE』

「あなたの見るものを私も見たいの」

作・演出/小池 修一郎
 潤花キャサリンの台詞は上のようだった気がする。初演の映像を見たら、花總まりは「あなたと同じものを見ていたいの」だった。そうだったかもしれない。
 初演のときも、一番印象に残った言葉だった。今回の感想もやはり同じ。   
 精神の高みから発せられる愛の告白。

 有名作曲家に依頼しただけあって、曲は良い。初演のDVDは歌の部分だけ何回も聞いたので、今回の観劇に新鮮さを感じられなかったのが残念。でも、それをいうのは贅沢、初日予定日から休演が続いたので本公演、見れただけでも感謝しなければいけない。

 初演とほぼ同じ演出のなかで、度肝を抜かれたのが、ラ・パッショナリアの留依蒔世。これは初演時と全く違う。留依蒔世、ガーッと出てきてものすごい勢いで踊りだし、目は釘付け。びっくりした。カッコいいのである。初演の和音美桜さんと違いすぎる。場をさらっていました。観客の多くも同じ感想を持ったようで、幕間に後ろの人も話題にしていたし、女子トイレの列でも話題になっていた。Tは留依蒔世の過去映像を探索していて、97期の文化祭の映像まで見てるぞ。
 留依蒔世、ブレイクするかもよ。

 初演は2006年、もう16年前だと思うと改めてびっくりする。和央ようかと花總まりの退団公演。
 この脚本は和央ようかと花總まりに焦点をあてることが第一命題で、他の役が小さい。次期娘役トップが決まっていた紫城るいのエレン・パーカーは、ちょっと役が大きい。それでも、後半は姿を消してしまう。男役は、紫城るいに対応する二番手役がない。次期トップの貴城けいが、まだ宙組に在籍していない状態なので、あえて二番手をぼかしたと思われる。
 今回は、芹香斗亜がヴィンセントを演じたので、これが二番手役だ。初演では、アギラールの遼河はるひが、あまりにも強烈だったので、闘牛士ヴィンセントの大和悠河が割りを食っていた。演劇は、本当に演者によって役の印象が変わるものだ。
 初演を見ている人にとっては、今回と初演との「違いを楽しむ」という観方をおすすめします。
 フィナーレは流石にぜんぜん違う。今回、パレードの白と黒の衣装は綺麗に栄えて、最後、銀橋に立つ真風涼帆、潤花、芹香斗亜、三人の並びは美しくゴージャス。これが私の見たい絵です。

 脚本について一言。
 永遠の愛を描くためには、一瞬で愛は終わらなければならないと、『ロマンス劇場』で書いたのだが、『ネヴァ・セイ』も同じで、ジョルジュはスペインに残り、戦いに参加し、キャサリンをアメリカに返す、という形で別れが訪れる。
 私は、ここが腑に落ちない。ジュルジュはキャサリンという居場所を見つけたのだが、一方で「ヴィンセントたちの生き方に、人生の真実を見出した」という。そこで、一旦はキャサリンと別れ、義勇軍に身を投じて、結果として命を落とすのだが、ジュルジュはバルセロナを守るために銃を取ろうとしたキャサリンに「これは彼らの戦いだ」といって止めたのではなかったか?なぜ彼は戦うのか。ヴィンセントたちに見出した「人生の真実」とは何か?
 ジョルジュはスペインに残るにしても、銃を取るのではなく、カメラを手に真実を撮るべきではないのか。それが彼の戦い方ではないのか?カメラを手にした前線で命を落とすという脚本ではだめだったのだろうか?
 なぜ彼はカメラを置いたのか?

 もうひとつ。最大の疑問だが、この芝居、一本物でやる必要があるのだろうか。90分で上演できると思うよ。Tは、後半はいらないとまで言っておるくらいだ。


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