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時間切れ!倫理 130 契沖・荷田春満

国学

 国学は日本独自の学問です。出発点は日本の古典文学の研究です。万葉集や古事記を研究しているうちに、研究者たちの関心は古代の日本人のものの考え方に向かいます。そして、中国・朝鮮半島から様々な思想が入ってくる前の、古代日本人の思想や宗教観念などを探っていく方向に発展していきます。これが国学という学問です。現代風にいうと、古代日本における民俗学、歴史学、宗教学、文学、これらの分野を横断して探求する学問です。
 繰り返しますが、日本列島には古代から、中国・朝鮮半島から儒学や仏教、道教など様々な思想が入ってきています。これらの影響を除いたところにおける日本本来の思想は何なのか、を研究する学問です。日本固有の精神の究明ということです。

契沖・荷田春満
 国学の先駆けとなった人が契沖(1640~1701)です。お坊さんなのでこんな名前です。この人は万葉集の研究をしました。皆さんも知っていると思いますが万葉集は、まだひらがなが生まれる前に作られました。万葉集の歌は全て万葉仮名と呼ばれる漢字の当て字によって書かれています。漢字の羅列である万葉集の歌をどう読むのか、様々な読み方が可能であって、当時は古今和歌集、小倉百人一首を編集した藤原定家が主張した読み方がスタンダードとなっていました。契沖はこの定家の読みに異議を唱え新たな読み方を提唱しました。現在の読み方はこの契沖の読み方を基礎にしています。
 契沖が万葉集を研究する際に、古学の方法を導入しました。伊藤仁斎や荻生徂徠は、朱子学を否定して、孔子や孟子の考えに直接帰ろうとしましたね。その際に孔子や孟子がどのような発想をしたのかを考え、彼らの精神に迫ることによって本来の意味を汲み取ろうとしました。契沖はこの方法を取り入れたわけです。万葉集や古事記を書いた古代の日本人の気持ちになって読む。契沖は「古(いにしえ)の人の心に成る」といっています。
 契沖がこういう方法で万葉集を研究したので、これに学んだ人たちが、どんどんとこの方法を発展させて、国学という学問が成立して行きました。
 荷田春満(かだのあずままろ)(1669~1736)は伏見稲荷神職でした。契沖に傾倒し古語の研究をしました。伊藤仁斎にも学んでいる。古学の方法を取り入れているということですね。

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