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「落語が大好きで良かった」を読みました。

令和5年4月9日、蒲郡市民会館での『蒲郡落語を聴く会』第209回例会・三遊亭兼好独演会は「のめる」「七段目」「陸奥間違い」の充実した三席でした。
その会報には「落語が大好きでよかった」という文章が書かれています。
筆者は、碧南市在住の会員のIさんです。

Iさんは現在73歳。1949(昭和24)年くらいのお生まれでしょうか。
小学校の時にラジオで三代目金馬や二代目円歌、六代目柳橋を聞いて落語沼にはまる。

「碧南では電波が入りにくい東京の放送もラジオを持って海の近くへ行きアンテナを伸ばし、耳をくっつけて聞きました。『まわり舞台』等で文楽、志ん生、圓生、正蔵、馬生、小さん師の噺をたくさん聞きました」

1950年代から60年代、愛知の海辺で昔のラジオを持ってアンテナ伸ばして
一生懸命に雑音混じりの落語の音を聞こうとしている
姿が容易に想像できます。

そして、高校一年生で立川談志の『現代落語論』に
出会い、年賀状を出したら著者から返事をもらう。

「よい噺をたくさん聞いてください」。

そして、成人してもさらに落語に夢中で、
「含笑長屋、大須演芸場、名鉄ホールや中日劇場で
当時の名人上手のナマの高座に出会いました」。

もちろんラジオもたくさん聞き続け、そして
現在に至り、これからも落語を楽しみ続ける
ということで文章が終わっています。

*          *             *

読んで強く感じたのは、「素直な落語への敬意」です。
「推し」がいない。強いて言うならば「落語」全体が推し。
談志師匠にハガキは出して返事をもらったことがきっかけになっていますが、それで談志師匠だけにはまったわけではない。
そして、落語を聴くことに迷いがなく、目の前に差し出された「名人上手のナマの高座」をただただ観客として聴くことができる環境にいた。
名古屋という落語会の多いエリアに住み、興味を持った落語を客席で素直に聴くことができた。

観客のままで、与えられた落語に疑いを持つことなく素直に楽しむことができたこと。特定のコンテンツだけに誘導されることなく、お金を落とすことなく、ラジオで落語を楽しむことができたこと。
文字で読んでいると、その落語を聴くことへの愛がとてもまぶしく見えます。


そこで、今の自分を顧みてみました。

「誰を聴け」と勧められても、それを生で聴く機会は少ない。
落語会は特定の人だけしか来ない。
聴いてみたいと思う人が近所の学校寄席に来ていたことを後から知るも、当然一般の大人は聞きにゆくことができない。
ラジオは確かに楽しかったけれども、それだけでは満足ができませんでした。

そうやってひねてしまった人が、同じ会報、その下でコラムを書きました。
「浜松の落語会の状況について」
浜松寄席は、2月に代表のKさんが倒れてしまい、後を引き継げる人がいないため、急きょ終了となったことと、その現在の状況について書きました。

私は観客でい続けたかったんだと思います。ただただ客席で素直に落語を聞いて笑ったり泣いたりするだけで、落語家と同じ世界の中にいることを信じることができる、その世界の中にいたかった。
ふらっと歩いてとまでは言わない、身近な交通機関で落語を自由に聴きにゆけるところに住み続けたかった。
落語会を開催したかったんじゃない。
飲み会で落語家と仲良くなって芸人の了見で語るような人になりたいのでもない。
自由に好きな落語を選んで聞いて、終わったら日常に戻ることができる、そういうところにいたかっただけなんだ。

あ、次回蒲郡落語を聴く会は6月4日日曜日、蒲郡市民会館で
「露の新治・新幸親子会」です。落語好きだったら間違いなく
楽しめる濃密な会です。

蒲郡落語を聴く会事務局さま、今回は機会をいただきありがとうございました。

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