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月面ラジオ {49 : アルバム }

あらすじ:月美の想い人・青野彦丸は、月で宇宙船を作っている。彦丸の養子のユエは、大学生でありながら、月の大企業「ルナスケープ」でエンジニアとして働いていた。

{ 第1章, 前回: 第48章 }

彦丸とアルジャーノンが出かけたあと、ユエは彦丸の寝室をおとずれた。ユエの手には、青色のスーツがあった。彦丸の一張羅とまったく同じもので、先ほど届いたばかりの新品だ。

養父のスーツがすり切れてきたら、ユエはその度に新しいのを注文して、部屋に届けていた。放っておけば、彦丸は毎日同じスーツを着続け、すぐに生地をダメにする。服に関心がないのだ。それどころか、自分のスーツが定期的に新しくなっていることにすら気づいていないだろう。もし気づいていたとしても、それを当然のこととして受け入れている節があった。わざわざユエがスーツを用意しているだなんて、彦丸は想像だにしていない。

「よくも毎日同じスーツを着ていられるものね。信じられないくらい無神経。」

壁際の帽子掛けに、ハンガーでスーツを吊るしながらユエは毒づいた。この部屋のウォークインクローゼットは、彦丸が書斎にしてしまったので、スーツの定位置は帽子掛けだった。

「どうしてスーツにシワを寄せる人を社会は法で裁かないのかしら。あなたもそう思うでしょ、ハルル?」

「同意しかねます。」
 ユエの電脳秘書、ハルルは答えた。

「あ、肩にホコリが! ブラシはどこ?」

「わかりかねます。」

寝室を見わたしてユエはブラシを探したけど、スーツ一着の人間が服のためにブラシを用意しているはずなかった。しかたなしに自分の部屋まで取りに行こうとした時、ふとあるものが目に入った。

大きな本が、ソファーの上に置きっぱなしにしてあった。彦丸にしてはめずらしいことだった。たとえファッションに関心がなくとも、片付けだの整理整頓だのに関して彦丸はユエよりも神経質なのだ。好奇心の赴くままユエは本を開いた。手に持つとズッシリ重く、ただの本ではないとすぐにわかった。

「これは……画像データを手の平ほどの専用紙に印刷しているのね。それを、この分厚い物理的フォルダーにペタペタと貼り付けている。」

ユエがその本質を見抜いて解説した。

「ただの写真とアルバムです。」
  ハルルが補足した。

「物理的アルバムね。はじめて見たかも。画像なんてネットコンタクトで見ればいいのに。」

「実物に手で触れ、目で見ることを大切にする価値観もあります。私からすれば、写真を撮って飾るのも、ユエが服で着飾るのも同じことに思えますが……」
 ハルルは、人工頭脳らしい感想を述べるのだった。

ユエはしばらく写真を眺めた。十代の彦丸が映っていた。背の高い男と、背の低い女とのあいだに立ち、車の前で記念撮影をしている。きっとお父さんとお母さんなのだろう。彦丸の身長は、二人のちょうど真ん中くらいだった。若い彦丸を見たのは初めてで、確かに珍しいものを見た気はするけれど、それがユエの興味をそそることはなかった。

亡くなった養母、エリン・エバンズの写真を見つけても、ユエは興味を持てなかった。だってお母さんになったとたん、死んじゃったんだから。実際に何度か会って、お話したこともあるけれど、それは五歳のころだ。もう覚えていない。

でも一枚だけユエの興味を引くものがあった。というよりも、それに目を奪われた。

見知らぬ町でとった写真だ。地球ということ以外、この町がどういう場所なのかユエには見当もつかない。青年がふたり、その間に少女がひとり、合わせて三人並んで写っていた。左側の青年は、彦丸だった。まだ十代だけど、両親と映っていた写真に比べると、ずっと大きくなっていた。なんてことないただの写真だ。でもそれが気になってしかたなかった。

「真ん中の女、笑っている……」

この写真を撮った瞬間、彼女はまちがいなく幸せだったはずだ。毎日が楽しくて、仕方なかっただろう。隣にいる二人が大好きだったはずだ。縁もゆかりもない女だけど、見ただけでそうだと分かる笑顔だった。

「ハルル、この女、誰だかわかる?」

「すぐにはわかりかねます。少なくとも同様の写真はネット上にありません。専門の調査機関に依頼したほうが早くて確実でしょう。」

「専門家だったら私の知り合いにもいるわ。そっちに頼んでみようかしら?」

「いったいどうしたのですか? ユエが他人のことを気にかけるだなんて。」

「さぁ。」
 ユエは肩をすくめた。
「うまく説明できないけど、なぜか気になるの。なぜかしら? 古い知り合いと偶然あったけど、その人の名前も、どこで知り合ったかも思い出せない……そういう時と同じ気持ち悪さがあるわ。」

「この方と会ったことがあるのではないでしょうか?」

「まさか。私が生まれるずっと前の写真に写っている女の子でしょ? 知り合いだなんてとても思えない。」

ユエはアルバムを閉じて、ソファーの元の位置に戻した。

「ハルル、やっぱり出かけるわ。大学に行って、講義を受ける。あ、でも、その前にロニーに顔を見せるわ。」

「承知しました。エントランスに車を呼んでおきます。」

「よろしくね。」

そう言うと、ユエは寝室をあとにした。


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