{ 41: 路地、再び }
コンテナのような大きなゴミ箱の蓋をあけると、生ゴミの匂いでむせ返りそうだった。パンパンに膨れたゴミ袋を取り出しては投げ、取り出しては投げているうちに、いくつかが破れてしまった。その拍子に、リンゴの皮だの、お茶っ葉のカスだのが手についたけど、春樹はかまわず続けてゴミ箱を空にした。
顕になったゴミ箱の底を隅から隅まで見回したけれど、お目当てのものは見つからず、春樹は声をあげた。
「ない!」
春樹は体まるごとゴミ箱に入ると、長年かけて染み付いた悪臭に嗚咽しながら探索を続けた。でもいくら探したところで、化石のように乾いたガムの残骸がそこかしこにへばり付いているだけだった。
「だめだ、見つからないよ……あイタっ!」
春樹は、ゴミ箱から身を乗り出した途端に声をあげた。左手を見ると、手のひらから血が流れていた。落ちていたガラスの破片の上に手を置いてしまったようだ。
「だいじょうぶか?」
ロウが声をかけた。
「大丈夫だよ」
春樹はゴミ箱から出て答えた。
「そんなことより、見つかったかい?」
「いや、だめだ」
ロウは、隣のゴミ箱をちらりと見ながら言った。ロウも春樹の作業を手伝ってくれてはいるけれど、春樹ほどゴミ漁りに執念を見せることなく、ゴミ箱の中をひっくり返すこともしなければ、ましてや、そこに身を投じるようなこともなかった。
「もう一ヶ月も前だろう? 残っているわけがない」
春樹は、一ヶ月前に三日ほど過ごした路地裏のゴミ置き場を訪れていた。火葬屋と呼ばれた男が、春樹を捨てていった場所であり、ロウが春樹を拾った場所でもある。春樹のせいで、辺りはゴミで溢れかえっていたけれど、もとよりゴミだらけだったので、かまいやしないだろう。
「ここに残っているはずだ!」
春樹は、ゴミ箱に手すら突っ込んでいないロウを睨んで言った。
「あのとき、僕は名刺のようなものを持っていたんだ。僕を助けてくれた男が渡してくれたものだ。塔を脱出するための手がかりのはずなんだ。なのに、僕はこの場所でそれをなくしてしまって……」
「おちつけよ」
「おちつけだって? 僕は、あいつらから命を狙われているんだぞ。あの恐ろしい動物面のやつらに!」
春樹は、地面に転がっていたゴミ袋を思い切りけとばした。それから、腹立ちまぎれにゴミ袋を壁に叩きつけたり、ロウに投げつけたりした。
「どうして、ないんだよ!」
しまいにはゴミ袋に顔をうずめて春樹はわめいた。
「大切なモノだったんだ!」
「も、もう帰ろう春樹……」
ロウは、とち狂った春樹に恐れをなしながら一歩下がって言った。
「だめだ! なんとしても見つけないと。僕には時間がないんだ」
春樹は、べつのゴミ箱からまたゴミ袋を取り出しながら続けた。
「あいつらは、僕が死んだと思っていた。そのはずだったんだ。でも、ニショウは、僕が逃げたと疑っている。早くこの塔から脱出しないと……このままここにいたら、いつか見つかってしまう」
「ニショウの兄貴の言っていた『太った人間のガキ』ってのは、やっぱり春樹だったか」
ロウは、春樹の投げつけたゴミ袋をけりあげながら言った。
「おまえさんがうちに来たころから体重が二十キロも減ってなきゃ、あのとき兄貴にバレていたかもな。どうして兄貴たちは、春樹の命を狙っているんだ?」
「それは……」
ゴミ袋つかんでいた春樹の手がピタリととまった。
春樹は、ロウに隠し事なんてしたくなかった。でも、それ以上にロウと敵対したくなかった。もしも春樹の血の秘密を知ったら、どんな反応をするだろうか。ロウは、春樹の血のせいで燃え尽きたあの「イッショウ」と親しかったのだ。
春樹がうつむいたままでいると、やがてロウは肩をすくめた。
「話したくないなら、かまわないさ。名刺探しはもう終わりだ。現場に帰って仕事の続きをしよう」
春樹は、しばらくあたりの惨状を眺めていた。破れた袋から生ゴミやらちり紙やらがこぼれていたし、ゴミ箱の裏に隠れていたネズミたちが驚いてかけずり回っていた。ロウのいうとおり、これ以上探したところで、小さな紙切れ一枚が見つかるとは思えなかった。
「そうだね……」
やがて春樹は言った。
「これ以上は時間のムダだ。見つかったところで、たかが名刺だしね」
「塔から脱出するための手がかりじゃなかったのか?」
「きっと僕の思い違いだ」
本心ではそう思ってはいないけれど、それでも春樹は手に持っていたゴミ袋を地面に置いた。
「先に帰っていてくれ。僕はここを片付けてから行くよ」
「律儀なやつだな」
ロウは笑った。
「こんな所、片付けようが片付けまいが、たいして変わりゃしないぞ。なにしろこの街の住民ときたら、窓からゴミを投げ捨てるもんだから路地裏はどこも散らかり放題……ん?」
ロウが、ふいに春樹の手元に視線を落とした。
「おい、春樹、手が血だらけだぞ。ガラスが刺さったままじゃないのか?」
「え、本当かい?」
春樹はキョトンとして言った。
「なにぼんやりしているんだ? さっさとガラスを抜くんだ」
「ムリだ。血が怖いからね」
春樹は、肩をすくめて言った。
「バカか、おまえは!」
ロウが急に怒鳴りだしたので、春樹はビクリと体を震わせた。
「体の中にガラスの破片が入っちまうぞ! 手を出せ。おれが代わりにやるから」
ロウは春樹のちかくに寄ると、左手を掴んだ。確かに手のひらは血だらけで、小さな水たまりのようなモノもできていた。その有様を見たとたん、春樹は痛みをようやく感じ始めた。
「けっこう大きな破片が刺さっているな」
ロウは、呆れた様子で春樹の手を見た。
「指でつまみ出せそうだ。痛くても動くなよ」
ロウが手を伸ばしたその時、ロウの体が燃えている光景が春樹の頭をよぎった。ロウは、全身火だるまになって泣き叫んでいた。春樹はロウの手をはねのけた。
「なにをするんだ!」
ロウが声をあげた。
「血だぞ? 怖くないのか?」
春樹は言った。
「おまえじゃないんだ。赤いからってビビったりしねぇよ」
「そうじゃない! 血だよ。もし血が混じり合えば、君の体が燃えてしまうんだぞ?」
「体が燃えるもんか! わけのわからないことを言うな」
「だって、動物面のやつらは……」
春樹はその場で佇んで言った。
「やつらは、他の血が混じることを何よりも恐れているんだよ? 型のちがう血液が混じると、体が燃えてしまうからだ」
「動物面ってのは、ニショウの兄貴たちのことか? そんな話、聞いたこともないぞ」
ロウは、眉を潜めて春樹の顔を見た。それから左腕をつかみなおすと、手に刺さったガラスをとってしまった。春樹はうめきながら、左手の手首を握った。
「急いで、手を洗おう」
ロウは血だらけの破片を投げ捨てながら言った。
「食堂のおっちゃんに頼めば、水道を貸してくれるはずだ。それから傷口にオキシドールをぶっかけて消毒しないとな。バイキンが体に入ったら塔の脱出どころじゃなくなるぞ。むかし、切り傷をほったらかしにしたせいで、手がナスビのように膨れ上がっているヤツを見たことがあるんだ。そいつは、高熱を出して、七日間苦しんだ挙げ句に死んじまった」
ロウは、春樹を引っ張って、路地裏から出ようとした。でも春樹は途中で足を止めて、ロウにこうたずねた。
「君たち塔の住民は、ケガや病気で死んでしまうのかい?」
「当たり前だ。逆に聞くが、ケガや病気以外でどうやって俺たちに死ねっていうんだ? さっきからおまえは何を言っている?」
「ロウは、あの動物面たちとはちがうのかい? その……なんというか……ちがう種族なのか?」
「そいつは、今ここで話さなくちゃならないことか?」
ロウは、春樹の顔と、傷口の開いた手を交互に見ながら言った。
「手当のあとでもかまわないだろう」
「大切なことなんだ」
なおも春樹が食らいつくと、ロウは呆れた様子で言った。
「兄貴と俺たちは、まったく別の生き物だよ……」
「ならアイツらは一体なにものなんだ?」
「さぁな。わからん」
「わからないなんてことがあるのか?」
「ほんとうに、わからないんだ」
ロウは首を振った。
「兄貴たち戦士が、いったい何者なのか……どうして、あんなにも人間を憎んでいるのか……俺は、何ひとつわからないんだ」
「昔からの知り合いじゃないのか? イッショウとニショウのことを兄貴と呼んでいたじゃないか」
「俺たちは、子どものころ一緒に育ったんだ」
ロウは答えた。
「孤児だったのさ。この二十二階とは別の街で生まれ育ち、家族同然で暮らしていたんだ。でもある日、イッショウとニショウの兄貴は、変わってしまった。一夜にして髪が真っ赤になって、ケモノの戦士に生まれ変わったんだ。もとは、俺と同じで、どこにでも転がっている普通のガキだったのに……」
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