手紙なる一族 3 (全6回)

あらすじ: マクレター家には、300年前から受け継がれる手紙がある。その受取り手である「私」は、マクレター家の現当主から手紙にまつわる話を聞くことに……

{ 第1回, 第2回 }

ハリエット・マクレター(四代前)

ハリエットがその手紙を受け取ったのは、まだ誰も歩いていない早朝の橋の上でだった。

マクレター家の当主にして、「鉄の女」と呼ばれるハリエットがこのような橋を歩いているところを見られたら、街の者たちはきっとこんな風にウワサするだろう。あの女は、どうして早朝にあの場所にいたんだ、と。川とは名ばかりの工場排水が流れ、昼ともなればコイン一枚ほしさに物乞いが集まり、夜ともなれば、目的地に着く前から酔っ払っているような連中が酒場にくり出す橋の上で、あの女は何をしていたんだ、と。橋の醸し出す「いかがわしさ」よりも、いかがわしいウワサの標的になることにハリエットは身震いしていた。

「本当にこんな所にいるのだろうか? あの男は……」

屋敷の使用人経由で手紙(とは呼びがたい紙切れの走り書き)を受け取ったのは、昨日の午後だった。その走り書きには、この橋にハリエット一人で来るよう指示が書いてあった。差出人は、とうの昔に姿を消した男だった。

ただのいたずらだろう、とハリエットは思った。しかし昔からマクレター家で働くその使用人は、「走り書きを持ってきたのは、間違いなくその男だった」と言い張った。さもなければ、ハリエットがその呼出しに応じることはなかっただろう。

「久しぶりだな、ハリエット……」

霧モヤの中で考えごとをしていたものだから、すぐそばに人がいることに気づかず、ハリエットは飛び上がりそうになった。

橋の中腹でうずくまっている者がいた。浮浪者だと思ったし、事実、浮浪者だった。でもただの浮浪者ではなかった。浮浪者は、十年前に姿を消したきりの父ナサニアンだった。

「まさか本当に父上とは……」

かつての精悍な姿はつゆほども感じられず、ボロをまとった身なりはとうてい父と認めがたいが、それでも実の娘であるハリエットが見まちがうはずなかった。

「話さなければいけないことがある。」
 父は言った。
「おまえは忙しい身だろうが、聞いてくれるか?」

「手短に話していただけるなら。」
 ハリエットは言った。

「まずは私が家を出ていった理由だが……私がキャビネット狂いだったのは承知だな?」

「よく憶えています。」
 ハリエットは言った。

かつて父は、キャビネットを手に入れるため、国中の家具店と古美術商を渡り歩いていた。店にいけない時は、現物を確認する前に注文することもあったし、売りに出されるキャビネットを優先的に見せてもらうため、店主に予め金をつかませることもあった。要するに父は、たかだか家具のためにマクレター家の財産を費やしたのだ。もちろん父のかせいだ金である以上、それを何につぎ込もうと父の勝手だった。ただ、手に入れたキャビネットを使ったり、鑑賞したりするならいざしらず、棚やひきだしの中をひとしきり確認したのち、すぐまた売りに出し、ときには怒り狂ってキャビネットを破壊してしまうこともあり、そのときの父の姿は狂人以外のなにものでもなかった。

キャビネット蒐集家として、家具商のあいだでのみ伝説的に名を馳せた父ではあったが、十年前に突如家を出て、行方をくらました。その理由はだれにもわからず、ひとり娘のハリエットは愕然としたものである。以来、ハリエットがマクレターの家督をつぎ、アベルトの再来と言われるその手腕で事業を拡大し、いつしか新聞にも紹介されるほど名が知れ渡るようになり、父の存在など思い出すこともなくなった今になって、突然の再会を果たした次第である。

「私は、有象無象のキャビネットを集めていたわけではない。」
 父は言った。
「大昔、私が誤って売りに出してしまったキャビネット……すなわち我が父ダレンの『青いキャビネット』を探していたのだ。」

「つまり、おじい様の形見探しというわけですか。」

「ちがう。」
 父は言った。
「形見ではないが、私はそれを探さなければならなかった。当初はすぐに見つかると思った。だが捜索は極めて難航した。問題は、キャビネットの形を私が憶えていないことだった。我が父ダレンは病に倒れ、記憶もあいまいで、その特徴を正確に聞き出すことはできなかった。それに間もなくして死んでしまった。さらに不運なことに、私がキャビネットを売り払った業者はすでに倒産し、夜逃げをしたあとだった。キャビネットのことを憶えていればと、何度となく思ったことだろう……だが私はなにも憶えていなかった。それも仕方ないことだった。キャビネットを売りに出したころ、それは私にとって憎しみの対象だった。何十年も前から屋敷にあったのに、まともに見たことはなかったのだ。」

「確かなのは、キャビネットの色が青だったことだ。」
 父は続けた。
「だから私は青色のキャビネットを手当たり次第注文した。当時は仕事でいそがしく、すべての商品を見に駆けつけることはできなかったので、商品を屋敷に届けさせることが多かった。金は余分にかかるが、一番てっとりばやい方法だった。しかし、このやり方には大きな問題があった。青色のキャビネットを探していると知れ渡った時点で、私に売りつけるため、自分で青色に塗り替える輩が出はじめたからだ。なによりも、元は青いキャビネットであったが、色を塗り直されている可能性もあった。」

「それで『青いキャビネットを手当たり次第』が、『キャビネット手当たり次第』になったわけですね。」

「そうだ。」
 父はうなずいた。
「だが、この世のキャビネットをすべて購入するわけにもいくまい。私の浪費は家計に多大な影響を与えていたわけで、そのような行為は自殺以外のなにものでもなかった。加えて、このころになると、家具屋を相手にしているだけではダメだと私は考えていた。金だけでは解決出来ない問題を、私は解決しなければならなかった。」

「つまり……」
 ハリエットは言った。
「そのキャビネットは、流通に乗るような商品でなかった。持ち主が大切に使っているか、あるいはすでに捨てられているか……」

「まさしく。」
 父はうなずいた。
「私は前者の可能性を大いに信じた。一見して古びたキャビネットではあったが、作りはしっかりしていたし、意匠も凝らしてあったからな。少なくとも、安物ではなかった。」

「それで父上はどうするつもりだったのですか?」
 ハリエットは言った。
「キャビネットの置いてある家を個別訪問するつもりだったのですか? 街中の家を……あるいは国中の家を訪ねて、家具を見せてもらい、もし対象のキャビネットが見つかれば、価格交渉を始める。そういうことですか?」

「それも選択肢のうちのひとつではあった。しかし効率の悪い方法にちがいなかった。私が逆の立場なら、突然おとずれてきた者を家に招き入れて、家具を見せようとは思わない。」

「新聞に広告はうたなかったのですか?」

「それまでに何度もうっていた。結果はすでに説明したとおりだ。」

「ならば……」
 聞きたくはないと思いながらも、ハリエットは尋ねざるをえなかった。
「父上はいったいどうしたのです? まさか……」

「招き入れてもらえないなら、無断で家に入るほかあるまい。」

「あぁ、そんな……」
 ハリエットはうめいた。
「マクレター家の嫡男ともあろうものが、泥棒になりさがるとは!」

「盗む必要はないんだ。」
 父は言った。
「私のほんとうの目的は、キャビネットでなかったからな。私は、キャビネットに隠してあったモノを取り戻したかっただけなんだ。ただ、いずれにしろ犯罪に変わりあるまい。私はマクレターの名誉を守るため、家を出る必要があった。たとえ捕まったとしても、私がただの浮浪者として扱われれば、家の名誉は傷つかないですむ。」

「そうまでして……キャビネットの中には、いったい何があったのです?」

「手紙だ。」

ここにきて、ハリエットはさらに驚くべきことを聞かされた。マクレター家には、150年も前から代々受け継がれる手紙があって、それをあと150年もかけて子孫に受け継いでいかなければならない。しかし、祖父のキャビネットに手紙が隠されていることを知らず、父はそれを売り払ってしまった。後年、祖父と和解した父は、その手紙を必ず探し出すことを祖父に誓ったらしい。

「なんと、そんなものがあるとは……」
 ハリエットは、半ば呆れながら言った。
「にわかには信じがたいが……だが、たとえその話が本当だとしても、奇跡が起きなければ見つかるわけない。」

「起きたんだ。」
 父は言った。

それからふところをまさぐると、中にあるものを慎重に取り出した。まごうことなき、手紙だった。

「奇跡は起きたんだ。」
 父は震える手でアベルトの手紙を持っていた。
「長かった……夜な夜な、あるいは住人が留守のころを見計らって家に押し入り、キャビネットの棚をしらべ、秘密の鍵穴を探し……それが私の探しているキャビネットではないことに気づき、落胆する毎日だった。」

「そ、そんなことを十年間も……」

「だが、私はついにやったんだ。とある一般家庭で私は例のキャビネットを見つけた。この手紙を見つけたんだ!」

150年前のものだけあって、手紙は色あせ、くたびれていた。だが、人の手に触れられることなく長年保管されていたためか、きちんと原型をとどめていた。赤い封蝋には、マクレター家の紋章である雄牛の印が押してあった。

「馬鹿なことを……」
 ハリエットは言った。
「たとえその話が本当で、マクレター家を思っての行動だったとしても、私があなたを許すことはないだろう。家のことをすべて私に押し付け、姿を消したあなたを……」

「わかっている。」

「私はすべて一人でやらなければならなかったんだ。母は、キャビネットを買い漁るあなたに呆れてとうの昔に家を出ていたからな。」

「それもわかっている。許してくれというつもりはない。ただ……」

「ただ?」

「この手紙を受け取って欲しい。」
 父は言った。
「受け取ってくれるか?」

ハリエットは、宛名のない手紙を見据えた。紅い封蝋には、角を突き上げる雄牛の紋章が押印してあった。それは、アベルトが考案したというマクレター家の家紋である。

「いいでしょう。」

ハリエットの返事に父はあからさまに驚いて、眉をつり上げた。

「手紙は私が預かります。」
 ハリエットは続けた。
「私が最も尊敬する先祖は、アベルト・マクレターです。彼の意思を汲むことに疑問はありません。」

ハリエットが手を差し出すと、ナサニアンはその上に手紙を置いた。手紙は想像よりも重く、ほんの一瞬のことではあったが、ハリエットは中に金属でも入れているのではと疑った。父は、暖かな毛布にくるまって眠りにつくかのように安心しきっていた。

「屋敷に戻ってくる気はありますか?」
 ハリエットは尋ねた。

「ない。」
 父はなんのためらいもなく答えた。

「どうして今まで本当のことを話してくれなかったのですか?」

「話したところで、私に対するおまえの評価は変わらなかったろう。」

「たしかに、どちらにしろ狂っていると思います。」
 ハリエットは言った。

「マクレター家の復興は必ず成し遂げます。」
 そう心に誓って、ハリエットはその場を去った。

「後日談ではありますが、ダレンの青いキャビネットは現存しています。」
 現代の当主、ワーナー・マクレターは言った。
「キャビネット狂いというわけではありませんが、とある分野の蒐集家たちの間で代々受け継がれ、どこぞの倉庫でいまも大切に保管されているそうです。」

「いったいなんでまたそんなことに?」
  私は言った。

「呪いのキャビネットとして有名になったからです。それがまた奇妙なうわさでして……夜中になると青いキャビネットのそばに幽霊があらわれるそうです。」

「確かに珍しいかもしれないが、その程度のオカルト話、巷にあふれていると思うぞ?」

「男の幽霊があらわれるそうです。同時に、ふたりも。」

「なるほど。」


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