手紙なる一族 2 (全6回)

あらすじ: マクレター家には、300年前から受け継がれる手紙がある。その受取り手である「私」は、マクレター家の現当主から手紙にまつわる話を聞くことに……

{ 第1回 }

ダレン・マクレター (六代前)

ダレンがその手紙を受け取ったのは、父の伏す病床のかたわらでだった。

ダレンが寝室に入ると、父はまだ眠っていた。ホコリだらけのシーツの下から小さな顔がはみ出ていて、皿のすみっこに卵黄が乗っかっているかのようだ。ダレンは、ベッドの横に椅子を持ってきて、そこに座った。

「来たか……」
 ダレンの着席を見計らったかのように父、サース・マクレターが目をさました。

「親父、いったいなんのようだ?」

普通なら「体調はどうだ?」、「寒くはないか?」くらいの挨拶はあっただろう。だがダレンと父の間にそのようなやり取りがなくなって、すでに久しかった。それくらい父も承知のようで、さっそくダレンを呼びつけた本題に入った。シーツの下から左手を出すと、父はベッドのそばの小机を指した。古い手紙が置いてあった。

ダレンは、黙って父の説明を聞いた。これは、父が祖父から預かった手紙で、その祖父もそのまた父から預かったものだそうだ。すなわちダレンの曽祖父、アベルト・マクレターが300年後に現れる人物に宛てた手紙で、父の言うところによると、次はダレンがこれを預かる番らしい。

「正気か?」
 ダレンは言った。
「なぜそんなことをしなくちゃならない?」

「一族の使命だからだ。」

「くだらないな。まさかこんなことのために呼び出されたとは。」
 ダレンは、父のベッドから視線を外し、さりとて他に見るべきものもないという理由で天窓を見やった。

「さぁ、その手紙を取るんだ。」

「お断りだ。」

取るんだ!

父が急に大声を出したので、ダレンは思わず体をこわばらせた。父に目を戻すと、やせ細った顔の中でやけに大きな目がダレンを見据えてた。

「親父……」
 ダレンは言った。
「いくらなんでも馬鹿らしいと思わないか? 守る理由もわからない手紙を守っていくだなんて。あんたたちには、もっと大切にするべきものがあったんじゃないか? 見ろよ。このボロボロの屋敷を。曽祖父の代に財産を失い、一族復興と息巻いても、結局、親父もじいさんもたいしたことはできなかった。それなのに、なんだかわからん手紙を後生だいじに守るだなんて……」

「おまえの言いたいことはわかる。だが、これを受け取ってくれなければ、私は先祖に会わせる顔がないのだ。私の父は、命を賭してこの手紙を守ってきたというのに……」

父は語った。かつてアベルトの言いつけを守れず、手紙を開けようとしたことを。それを止めようとした先代が発作を起こし、死んでしまったことを。父は、自分のしでかしたことを……先祖の信頼を裏切ろうとしたことを今でも後悔していた。初めて聞いた話だった。ダレンは、ただただ呆然と父の話に耳を傾けるしかなかった。

父は寝返りを打つと、冬眠明けのカエルだってもう少し機敏に動くだろうというくらいの動作で、ベッドから這い出てきた。それから机の上の手紙を掴むと、ダレンに向かって差し出した。ダレンはそれを受け取るほかなかった。アベルト・マクレターの手紙は、分厚く、想像以上に重かった。

ダレンにとって、アベルトは過去の人だった。自分の生まれるずっと前に死んだ人なのだ。だが信じられないことに、そのアベルトは今でも街の笑いものだった。酒場にいる連中は、こんなジョークでダレンのことをからかった。

「火事になっても金勘定をやめないアベルトじいさんを振り向かせるためにはどうすればいい?」

「金鉱が発見されたぞ、と叫ぶんだ。」

マクレター家に生まれたというだけで、ダレンは子どものころから街の者たちにいじめられていた。今でもガキどもから雪をぶつかけられることがあり、それだけならまだしも、自分の息子までもが雪を投げつけられた。街を出ていきたいというのがダレンの本音であり、この手紙は、自分をマクレター家に留めるための鎖に思えた。だが泣きながら頼む父に対し、さすがのダレンも断ることはできなかった。少なくとも父の生きている間は、手紙を預かることにした。だから父の亡くなった一週間後にダレンは手紙を捨ててしまうのだった。

「手紙を捨てたのか?」
 私は驚いて言った。

「はい。捨ててしまったのです。」
 現代の当主、ワーナー・マクレターは答えた。

「なら、あんたの手元にあるその手紙は?」

「ダレンは思い直してゴミ箱から手紙を拾ったのです。」

「なんでまた?」

「交通事故にあったからです。」

「交通事故?」

「当時の交通事故といえば馬車です。ダレンは、馬車の転倒事故に巻きこまれました。さぞ驚いたことでしょう。手紙を捨てたとたん、事故にあったのだから。幸い、すんでのところで大ケガを免れました。ただしダレンは、手紙が呪われていると思い込みました。手紙を捨てたせいで事故にあったのだ、と。ご先祖様の言いつけを守らなかった祟りにちがいない、と。」

「ほう、呪われているのですか……」
 手紙を持つワーナーから少し距離を置きながら私は言った。

「もちろん事故は偶然です。手紙に呪いなんてあるわけない。」
 ワーナーは笑いながら言った。
「しかし本人はそう思わなかった。医者が止めるのも聞かず、ダレンはその日のうちに搬送先の病院を退院し、家のゴミ箱にあった手紙を回収したそうです。以降、ダレンは手紙を後生大事にしますが、この出来事は悲劇の始まりでもありました。」

ナサニアン・マクレター (五代前)

「最近は正気に戻ることも多くなりました。その時は記憶も確かなようで、あなたにお話したいことがあると、しきりに我々に伝えてきます。それが、本日お呼び立てした理由でして……」

そう言って医者はナサニアンを病室に案内した。ナサニアンは、父の寝台の横に立った。息子の来訪に気づいた様子もなく、父は寝転んだまま何事かをブツブツ言っていた。

「キャビネット……キャビネット……呪いの……て……てが……青いキャビネット!」

「あの医者め。まったく正気に戻っていないじゃないか。」
 ナサニアンは毒づいた。
「わざわざ仕事を休んできてこれか……」

いま帰ったところでまた呼び出されるのは目に見えている。ナサニアンは、父がこちらに気づくまで待つことにした。病室の椅子にふと目をやったものの、座ればそのまま崩れそうな古い木の椅子だった。

これまで何かと理由をつけては、父との面会を避けてきた。だからこうして父の顔を眺めるのは、じつに二年ぶりのことだった。カッと目を見開いたまま一様に天井を見つめ、キャビネットだの呪いだのとブツブツ言ってはいるが、働きづめのナサニアンよりも父の顔は血色がよかった。しゃくなことに、頬に肉までついている。

父は、いつからこうなったのだろうか。正確にはわからないが、おそらくあの事故以来だろう。ただ、「馬車の転倒に巻き込まれたこと」と、「あの青いキャビネットに父が囚われ続けたこと」にいったいどんな関係があるのか、ナサニアンには見当もつかなかった。

父は、マクレター家の屋敷でキャビネットを眺めることに人生の大半を費やした。驚くべきことに、本当にただ見ていただけなのだ。キャビネットを本来の目的で使用するわけでなく……ティーカップをしまうでもなく、皿を重ねて置くでもなく、ましてや花を飾るわけでもなく……屋根裏にキャビネットをしまい、そばに椅子を置いて日がな一日見張って過ごしていた。夜ともなれば、床にシーツと毛布だけを敷き、キャビネットの横で眠っていたし、食事だって、いつも屋根裏でとっていた。一時はナサニアンも母もその奇行につきあわされ、屋根裏で食事していたことがある。空っぽのキャビネットを見つめながら肉にナイフを差し込み、パンを引きちぎる父の姿は、不気味以外のなにものでもなかった。理由を聞けども父は教えてくれないので、家族は途方にくれるしかない。

仕事も家族も顧みずにキャビネットと過ごした父のことを、母は「キャビネット狂い」とよく罵った。ナサニアンもおなじ意見だった。家庭が崩壊しはじめ、ついに耐えられなくなったナサニアンは、父の眠っているすきにキャビネットを持ち出して、売り払ってしまった。その日、父の叫び声が屋敷中に響いたのは言うまでもないだろう。母は恐れをなして家を出ていった。そして、家庭の決定的な崩壊とともに父の精神も崩壊し、以来この病室で寝泊まりすることになった。当事者のナサニアンですらわけのわからない事態なれど、これがことの顛末である。

「父さん……」
 自分でも気づかないうちに、ふいに声がでた。

「ナサニアンか……」

「ち、父上!」

数年ぶりに自分の名が呼ばれたことにナサニアンは驚いた。父、ダレン・マクレターがこちらを見ていた。

「家業は順調か?」
 父は横になったままたずねた。

「はい。」
 あなたに呼び出されなければ、さらに順調でしたという言葉を飲み込みながらナサニアンは答えた。

「おまえに話しておかなくちゃならないことがある。」
 父は言った。

「まさか、例のあのキャビネットについて……」

「ちがう。」

「ちがう? ぜったいそうだと思ったのに……」

「手紙についてだ。マクレター家に代々受け継がれる手紙があるのだ。」

「手紙……ですか。それはいったいどんな手紙で?」

話を聞けば、四代前のご当主、アベルト・マクレターの残した手紙がこの世にあるそうな。300年後にあらわれるとある人物に渡すため、これまで代々受け継がれてきたとのこと。四代前と言えば、100年も前の時代である。とんでもないものがこの世にあるものだと思いつつも、ナサニアンはひとつ気になることがあった。

「その手紙はどこにあるのです? この病室ですか?」

「ここにはない。」

「では、いったいどこに?」

「まぁ、待て。順を追って話させてくれ。俺も思い出さなくちゃならないことが多い。」

ナサニアンがしばらく待っていると、やがて父は語りだした。思いの外しっかりとした口調でナサニアンは驚いた。

「俺があの手紙を受け取ったのは、おまえがまだ幼いころだった。当時の俺は手紙を守る気もなく、先代の父が亡くなったら捨ててしまったんだ。その直後、馬車の下敷きになった。」

「例の事故のことですね。」

「俺は、その事故の原因が手紙にあると思った。手紙を捨てたせいで、俺は呪われたのだ、と。」

「バカバカしい。」

「最後まで聞くんだ。」
 幼子をとがめるように父は言った。
「俺は急いで、手紙をゴミ箱から拾った。これでもう安心だと思った。だが、一度ひどい目にあった者のサガなのだろう、どうしても不安を拭いさることはできなかった。だから呪いの手紙を持って、信頼できる友人の何人かに相談したんだ……俺はいったいどうすればいいのか、と。それがすべての間違いだった。」

「とうぜん誰も俺を相手にしなかった。」
 父は続けた。
「なに、それはかまわない。おかしなことを言っているのは俺の方だったからな。問題なのは、友人にしたその話を赤の他人に聞かれたことだった。そいつは、立ち聞きしたことを謝りながら俺に近づいてきた。」

「それはいったい誰なのです?」

「名前は忘れたが、家具専門の古美術商を生業にしている男だった。そいついわく、俺におあつらえ向きの商品を持っている、と。」

「まさか、それが……」

「そうだ。それがあの青いキャビネットだった。いわく、キャビネットには呪いを封じ込める力がある、と。魔除けのキャビネットだの、霊験あらたかなキャビネットだの、聖人の血が染料に混ぜられているだの、そういうウリ文句だった。もちろん俺は信じなかった。あまりにも都合がよくて、それが家具を売りつけるためのウソだと思ったのだ。」

「そうでしょうとも。」

「だが、最後は俺もやつの口車に乗ってしまった。『本当にいいのですか。呪いをそのままにして。次はあなただけでなく、あなたの家族にも危害がおよぶかもしれないのに……』。気がついたら、俺はその男に前払金を渡していた。信じてもらえないだろうが、おまえたちのことを引き合いにだされた瞬間、キャビネットが必要なモノに思えたんだ。まるで誘拐の身代金を払うような気分だったよ。」

「俺はキャビネットを屋根裏に持ち込むと、さっそく手紙をしまった。」
 父は続けた。
「一見して古いだけのキャビネットで、ここにしまっておけば、誰かが間違って手にする心配もなかった。これで一安心だった。一安心のはずだったんだが……最初はなんともなかった。ただ、仕事をしていても、キャビネットのことが……ひいては手紙のことが気になってしかたなかった。だから時間を見つけては屋根裏まで来て、キャビネットに手紙がしまってあることを確認していたんだ。手紙のことが気になって、仕事に手がつけられない……そういう状況は、おまえの祖父のサースも同じだったそうだ。俺はいつしか屋根裏から離れられなくなり、そこで過ごすことになった。最初は食堂のテーブルを屋根裏に移動させて、そこで家族と食事をした。風呂やトイレだってそこに設置させた……のは、おまえも知っているか……あの時はすまなかった……こうして俺は日がな一日キャビネットを見守る男になったわけだ。家族からそっぽむかれ、使用人が屋根裏の扉の前に置いていったパンをただ貪るだけの人生になり、気がついたらここに入院していた。」

「ちょっと待ってください。」
 ナサニアンは慌てて言った。
「あのキャビネットに手紙がしまってあったのですか? 私が売り払ったあのキャビネットに! しかし、あの中には何も入ってはいなかった!」

「あれには、隠し棚があったのだ。」
 父は言った。
「あると知らなければ、決して見つけられない小さな鍵穴があって、そこに鍵を刺すことで隠し棚を開けることができる。俺はそこに手紙を保管していた。思えば、その隠し棚の存在もキャビネット購入の理由だったな。おまえたちが好奇心に駆られて手紙を手にとってはいけないからな。」

「わ、私はなんてことを……」
 ナサニアンは、先ほど決して座るまいと誓った古い木の椅子に崩れ落ちた。
「父上は私たちを守ってくれていたというのに、私はキャビネットを売ってしまっただなんて……」

「いいんだ。」
 父はベッドから起き上がって、ナサニアンの肩に手を置いた。
「悪いのは俺だ。手紙が呪われていると思い込んだ俺のせいなんだ。」

「手紙は……呪われていない?」

「俺がこうなってしまったのも、最初にあの手紙を……ご先祖様の言いつけをないがしろにしたせいだろう。手紙は呪われなどいない。手元を離れて久しいのに、まだ誰も死んでいないのがその証拠だ。」

「俺は、手紙が呪われていると思い込みたかったんだ。」
 父は続けた。
「俺はマクレター家を出ていきたかった。街のバカどもが石を投げつけるあの家からな。だが俺に家を飛び出る勇気はなかった。出ていきたければそうできたはずなのに、結局は屋敷に留まり、出ていけない理由を手紙に求めた。すべては俺の弱さが招いた悲劇だった。俺は、ご先祖様にもうしわけない。もちろんおまえたちにも……」

「父さんがこうなったのは、あのキャビネットのせいじゃなかったのですね。」

「そうだ。そして、おまえのせいでもない。今日ここに呼びつけたのは、そのことを伝えたかったからだ。だからもう二度とここに来る必要はないぞ。俺に思い残すことはなくなったからな。」

「いえ、あるはずです。」
 ナサニアンは顔を上げて言った。
「キャビネットの隠し棚の鍵はいまも持っているのですね?」

「あぁ、そうだ……」
 父はうなずいた。
「おまえ、まさか?」

「キャビネットを売ってからずいぶん経っています。見つけ出すのは難しいでしょうが、きっとできるはずです。」

「だめだ。家業がおろそかになる。手紙よりも、仕事を優先するんだ。」

「心配にはおよびません。先にも申し上げたとおり、事業は順調そのものです。跡継ぎのハリエットも優秀で、若輩ながら任せられる仕事も多い。それこそ、アベルト・マクレターの再来と思えるほどの働きぶりです。キャビネットを見つける余裕は十分にあるでしょう。」

「それでもだめだ。手紙はもう失われたんだ。」

「いいえ、まだです。」
 ナサニアンは、涙に濡れる父の目を見つめ、震えるその肩に手をおいた。

「こうして五代前の当主、ナサニアン・マクレターは、失われた手紙を探し出すことを父に誓います。」
 現当主のワーナー・マクレターは言った。
「ナサニアンは、それが手紙を探す長い旅の始まりだったことをまだ知りませんでした。」

「話はまだまだ続きそうだね。」
 私は言った。

「はい。」

「興味深い話ではあるが、私はそろそろ行かなければ……こう見えて忙しいんだ。」

「待ってください。話はまだ終わっていませんよ。」
 ワーナーは、私の肩をつかみながら言った。


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